石けん学のすすめ       Anri krand くらんど

9.石けんと環境、河川への影響

9-1.レイチェルカーソン「沈黙の春」から
9-2.化学物質への新しい視点、新毒性学
9-3.ICSC(国際安全性カード)とPRTR(環境汚染物質排出移動登録)
9-4.河川・海域への親和、石けんの生分解性
9-5.BODと河川の自浄作用
9-6.日本は軟水の国
9-7.ハザードとリスク

* 9-1.レイチェルカーソン「沈黙の春」から

 「何でぼくだけアトピーなの?」という子どもからの詰問に、あなたはきちんと答えられるでしょうか。アトピー(アトピー性皮膚炎)だけではありません。気管支喘息、蕁麻疹、アレルギー性鼻炎、花粉症、シックスハウス症候群など、アレルギー性疾患はすでに多岐多様にわたります。その原因が、横溢する合成化学物質の暴露のせいかどうかは立証されていません。けれどもその重要な要因の1つである可能性は払拭できません。すくなくとも気温や住環境など人の生活環境の変化をもららしている多くの要因の中の1つです。

 人間は、それぞれ個々で生きていますが、構成する1つの社会単位で生き、人間という種の1つとしても生きています。共通の足場に立つ生きものは、共通の無意識の意識をもち、共通の無意識の共有は、誰かが1つの障害を噴出したとき、それがすなわち種の問題として、そこに発現したものとみなすことができます。アレルギー性疾患の1人の患者は、私たちが全体として日々暴露されている合成物質の負荷を、たまたま一身に背負って発現してきたものとみられます。倫理観がそう告げます。

 人生の途中にあって、誰もがどこかしらこうした日常のわずかな隙間が垣間みえ、この世界がどこかでいびつなものと感じることがあったら、無意識のものがにわかに顕になって、平坦だった生き方が瞬時に変貌していきます。女性は無添加の化粧品を探しはじめ、男性は安価なシンプルな石けんをつかいはじめます。部屋の窓がひとつあたらしく開くようなものですが、1度開いたこの窓は、決して2度と閉じることはありません。

*

 すべての化学物質は「生体異物」で、「環境異物」です。レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を上梓(1962)したときから、この事実はいつも窓の向こうにあって、人の気づくのを待っています。哢りませんから永遠に気づかない人がいるのも当然ですが、時代を降ることにそういう人が少なくなり、気づく人がふえてきているのも確かなことでしょう。

 その「沈黙の春」の一節をみてみます。

 「私たちの世界が汚染していくのは、殺虫剤の大量散布のためだけではない。私たち自身のからだが、明けても暮れても数かぎりない化学薬品にさらされていることを思えば、殺虫剤による汚染など色あせて感じられる。たえまなく落ちる水滴が、かたい石に穴をあけるように、生まれおちてから死ぬまで、おそろしい化学薬品に少しずつでもたえず触れていれば、いつか悲惨な目にあわないともかぎらない。

 わずかずつでも、くりかえしくりかえし触れていれば、私たちのからだのなかに化学薬品が蓄積されていき、ついには中毒症状におちいるだろう。いまや、だれが身を汚さず無垢のままでいられようか。外界から隔絶した生活などかんがえられこそすれ、現実にはあり得ない。うまい商人の口ぐるまにのせられ、かげで糸を引く資本家にだまされていい気になっているが、みんなはみずから禍いを招いているのだ。自分たち自身で自分のまわりを危険物で埋めているのだ。おそろしい死を招くようなものを手にしているとは、夢にも思っていない。

 人間は自然界の動物とは違うのだ、といくら言い張ってみても、人間も自然の一部にすぎない。私たちの世界は、ひどく汚染している。人間だけ安全地帯に逃げこめるだろうか」 注)1962 「沈黙の春」レイチェル カーソン

 有機化学は本来、生きものの化学として始ったものです。それがいつのまにか石油の化学になってしまいました。石油化学から生れた物質は、自然界にはなかったもので、生物に害を及ぼすことが少なくありません。自然界にも毒物はありますが、微生物などにより解毒されてきました。ただそれには限度があります。いま夥しい石油化学物質が生れてきていますが、そのあまりに急激な物質の増加に、微生物はよく対応できなていないようです。

 レイチェル・カーソンの言葉には、濁りがありません。テーマである農薬へのアンチテーゼのみならず、はっきりと化学物質の横溢そのものへの不信を表明しています。そしてそのために、出版の直後から、ありとあらゆる非難中傷が、全米の農薬会社から浴びせられました。雑誌「タイム」でさえ、「民衆を恐怖に陥れるために、感情を煽るような言葉を用い」、「論調は不公平で、一方的でしかもヒステリックである」、「農薬がどこかで水に入れば、あらゆる場所の水が汚染されるというが、根拠がまったくない。非科学的で馬鹿げた話というほかない」と書いたのです。

 その後、「世紀の農薬」DDTは、汚染源から数百マイルの外洋で発見されています。これらの非難中傷は、翌年5月、大統領科学諮問委員会の農薬委員会の報告書「農薬の使用」の公表により終息に向いました。報告書の主旨は、「私たちは、農薬の使用にともなう危険性を正確に評価する十分な知識を持ち合わせていない。そしてこれら毒物は、使用に供せられる以前に、その安全性が確かめられなければならない」といい、レイチェル・カーソンの主張を公式に認めたものです。ちなみに時の大統領は、かのJ.F.ケネディでした。

 化学物質への疑義・否定というものに対する、産業社会からの一般的な反論が、「非科学的」と「恐怖を煽る」と「ヒステリー」であるのは、40年後の現在でもまったく同じです。反論の口調も、「危険性が合理的に実証されないかぎり、使用して差しつかええない」というものです。危険性が実証されてからでは遅いのです。そういうことは今誰でも知っています。その道理を踏まえて、なお学問の立場からそうした反論が吐かれてしまうのは、不合理です。けれどもアプローチがすべてそうなのではありません。化学物質をすべて「毒性のあるもの」と、はっきり位置づけて事を始めるスタンスもあります。毒性学がそれです。

* 9-2.化学物質への新しい視点、新毒性学

 現在という時代は、ハザード(被危険性)と隣り合わせでいる時代です。化学物質がどんどん身近になり、食品添加物や残留農薬などの暴露、あるいは大気汚染の影響など、日常の生活のなかで恒常的に繰り返されるようになっています。急性毒性ばかりでなく慢性毒性が焦点になり、さらに数年、数十年という、微量でも広範な範囲に影響する、長期間毒性の去就が問題になってきていています。急性毒性の指標であるLD50値ですが、地球を汚染したDDTは、カフェインと同じ50〜500mg/kgの「やや有毒」な物質であり、奇形児を生みだしたサリドマイドは、食塩と同じ5000〜15000mG/kgの「ほとんど無害」な物質とみなされていました。そういう疑義のある歴史が、今を不信の時代にしています。

 毒性学の立場では、人体を構成する物質や栄養素として撮り込まれるもの以外のすべての化学物質は、おしなべて潜在的な毒性をもつものとみなします。正常な人体の働きと対立する存在であるという点を強調して、ゼノバイオティクスXenobiotics生体異物という名称で呼ばれています。毒性を特定のものだけがもつ性質とみるのでなく、あらゆる異物に備わっている普遍的な性質と理解するのです。それによって帰結するところは、あらゆる化学物質はそれぞれ固有の毒性をもっているという結論です。

 毒性を備えた化学物質が、実際に人にハザード(被危険性)を及ぼすかどうかは、ひとえにその化学物質の摂取方法(使用方法)と摂取量(使用量)によって決るという考え方もありますが、毒性学は、そういう使用法・使用量の問題にのみよらないという考え方です。有害な化学物質とそうでないものを、画然と弁別する一線が、あるかないかという議論になりますが、使用量をかぎりなく少なくしていく過程をふり返ってみると、その先にあるものは決断をともなう曖昧にほかなりません。曖昧な決断は、悔いがのこり、無気味でもありす。「リスクゼロ」を原則として遵守しているといっていいでしょう。

 慢性毒性の指標であるNOAELと、NOAELを不確定係数で割ったADI値(許容1日摂取量)も、安全性の判断の上からは、妥当とはいえません。NOAELに設定されている安全性の最少容量「しきい値」が、確実な保証にならないためです。また、急性毒性と慢性毒性の値も、相関関係がほとんどみられないことも、ある点示唆的です。化学物質の影響がゼロになるのは、結局使用量がゼロの場合にほかなりません。つかわないのが基本原則であり、つかわなければならない場合は、しきい値の設定などによらず、生涯(70年間)発がん率を10のマイナス6乗(生涯100万人に1人10^-6)となるような決め方がかろうじて適当でしょう。この数値は事実上、オフィシャルな発がん性化学物質の許容量であり、法的規制の根拠になったものです。

 もうひとつ忘れてならない議論は、化学物質が100%その化学物質でできてはいないという事実です。不純物・夾雑物はあっても通常きわめて少量なため、そうそう影響がでないという考えかたがあります。それも1つの落とし穴です。すべての化学物質は、原料由来あるいは製造過程由来の不純物・夾雑物を内包しています。とくに石油化学系の合成物質の場合は、プロセスのどのパートからでも不純物・夾雑物の混入が起ってきます。どれだけわずかといっても、不純物・夾雑物は、それ自体が生体異物であり、表に出ている化学物質の本来の作用を、質的・量的に改竄していきます。

 化学物質とその内在する不純物・夾雑物は、表裏一体の生体異物でありつづけます。ものにより最低限、日常的な使用は避けことを考えなければなりません。代替物がないかどうかも考えなければなりません。結局、化学物質の多くは日常的なありふれた製品です。医薬品・化粧品・食品添加物・食品残留性物質・家庭用品・嗜好品などの製品です。用途別のなかでさらに本体と本体の作用の補助物質である添加物とに分けられます。化粧品・家庭用品は、日用品・日常品ともいわれますが、原材料の精製度も高く、製造プロセスにも難がない状態でも、品質の均一性が損なわれるのをおそれて、保存料・酸化防止剤・金属封鎖剤・着色料・香料などがを添加されます。

 酸敗の危険・変色・異臭などは、工夫によって無くすことが可能なものです。保存性・安定性に富みながら、不純物・夾雑物が皆無というレベルも、それなりに到達できるものです。とくに家内制手工業的な製造法によれば、技量の伝承になるものもあって、それらの解消はなんなく可能になります。化学物質が否応なく生体異物・環境異物になってしまう理由の1つは、化学物質そのものはかりでなく、石油合成化学という巨大なコンビナートを形成するシステムそのものに起因しています。すでに経済社会の構造の問題でもあります。

 身辺をとりまく巨大プラントから、無作為に取り込んでしまう諸々の物質もまた、もともと自然界にはなかったものです。たとえば合成洗剤の害といわれるもののなかには、界面活性という本質的な作用ばかりでなく、不純物・夾雑物の存在による、機能のゆれのせいもあった可能性があります。

* 9-3.ICSC(国際安全性カード)とPRTR(環境汚染物質排出移動登録)

 化学物質の安全性についての情報は、いまや私たちにとって必須のものといっていいものです。どんな化学物質でも本質、すなわち機能と構造の確認が、日々問われています。化学物質がどういう作用をするものかを知らずには、なにもつかいたくないというのが、今の時代の誰もの考え方でしょう。ただ情報は多ければいいというものでもありません。多くの情報から取捨選択すればいいというのも、妥当な考えにみえますが、実際は整理すらできず、混乱してしまうのが普通です。信頼のおける情報というのはどういうものかという検討が必要です。たとえば出所の異なる見解を、そのつど信じていける筈もありません。見解がまったく異なる場合には対処すらできなくなります。

 国際化学物質安全性カードICSCは、WHO(世界保険機構)・UNEP(国連環境計画)・ILO(国際労働機関)が、共同事業として進めているIPCS(国際化学物質安全性計画)の具体プロジェクトです。化学工場の労働者・化学の専門外の人を対象に、化学物質の性質・毒性を過不足なく伝え、被害を防止することを目的に作成されています。各国の専門家がそれぞれ分担してつくる原案を、年2回、「原案検討会議」に持ち寄って決定、現在1200以上のカードが作成・公表されています(http//www.nihs.go.jp/ICSC)。過去データの更新も5年をめどにみなおされます。

 日本では、国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部が担当機関として、国内委員の協力をえて原案作成を行っています。資料の精査の上、取捨選択して記載事項を決定していきますが、毒性は人への影響がある場合にのみピックアップされます。不確定要素、たとえば動物実験にのみ観察されて人への影響に触れられていないケース(LD50値など)は、取り上げられません。

 LD50値への懸念と否定の理由は、条件ごとの過剰なデータ変動、日常を逸脱する過剰な投与、人体への予測が不可能、動物の多大な犠牲などです。データの範囲は限られていますが、すくなくともこの化学物質安全性カードが最低限の条件になると思います。ここに明示的な毒性・環境影響等が記載されていれば、一定の条件下では決して使用してはいけない化学物質ということになります。

 化学物質がおしなべて生体異物・環境異物といっても、使用の不可避な日用品もあります。その時、安全性カードが選択の第一資料になります。たとえば、石けんシャンプー後のリンスは、酢でもいいですがクエン酸がつかい勝手のいい最右翼です。安全性カードでは、乳酸・酢酸などの弱酸のなかでも、クエン酸がもっとも安全性が高いことを示しています。リンゴ酸もクエン酸と同等な安全性をもちますから、醸造酢からという場合は、クエン酸・リンゴ酸の含有量の高い果実酢が合理的な選択の対象になります。

 もう1つ、選択する以前にハザードのある化学物質を避けていく場合は、安全性カードとは異なりますが、有為な基準に準拠する、PRTR(Pollutant Release and Transfer Register:環境汚染物質排出移動登録)法の第一種指定化学物質(354物質)と第二種指定化学物質(81物質)リストがあります。一種と二種は、環境中にどれくらい存在しているか(排出量)によって区分されていますが、法の対象となるのは、当面、広く多量に(継続的に)存在すると認められる、第一種指定化学物質(354物質)のみです。

 市場に出ている洗剤の場合は、政令番号24「LAS直鎖アルキルベンゼンスルホン酸及びその塩(アルキル基の炭素数が10から14までのもの及びその混合物に限る)」と、政令番号307「AEポリ(オキシエチレン)=アルキルエーテル(アルキル基の炭素数が12から15までのもの及びその混合物に限る)」が第一種に指定されていす。指定の理由は「生態クラス」がそれぞれ「1」であるためです。クラス1・2・3も強から弱への順です。

 生態毒性は「ECETOC "Technical Report No.56, Aquatic Toxicity Data Evaluation, 1993" という各種化学物質の淡水および塩水中の水生生物に対する毒性データベースで、1970年から1991年までの公刊文献530編の中から、試験方法が明確で毒性濃度が実測されていることを基準に選定した結果、その内の42%が適格採用され、毒性影響濃度を評価して編集された数値集です。 データベースの内容は農薬・洗剤・溶剤・その他の物質数368種、生物種122種、掲載件数は約2200件の、無影響濃度、最低影響濃度、半数影響濃度などのデータです。

 LASを「一連の物質群として取り扱った」6件の元データのスコアは、ミジンコに対する生態クラス3が1件、2が1件、魚類に対するものはクラス2が2件1が2件です。トータルでくくるために毒性のつよい1に集約しています。AEは3件の元データがあり、2・1・1です。括って1にしています。普通に洗濯用粉末合成洗剤として市場に圧倒的シェアをもつLASとAEが、生態毒性において厳重な管理を義務づけられ第一種指定化学物質であることは、よく承知しておかなければなりません。

 ちなみにこれに関して、PRTR法の成立以前の公開意見募集(1999年3月)では、企業及び事業者団体から「LASとAEは生分解性が良く、環境中濃度が生態毒性濃度よりも充分低いことから、第1種から除外して欲しい」という意見が出され、当局から「LASとAEはECETOC生態毒性により生態クラス1〜2とされていることから、今回の物質選定基準に該当する」として却下、「原案通り」となった経緯もあります。

 ちなみに同じ意見募集では次のような意見も出されています。「PRTR対象物質に化粧品原料がリストされ、今後全成分表示の導入により、PRTR対象物質が化粧品に使用されていることが明白になるが、「身体に対しては安全な化学物質」と「環境を汚染する化学物質」を明確に分類して判断できる消費者は少なく、不必要な恐怖を煽られて消費者を混乱に陥れる可能性が高い。このため、化粧品原料となる物質には社会的な需要性も考慮して選定してほしい」。

 当局の回答は、PRTRの主旨を改めて説明し、「原案通りと」却下しています。1つだけ言えば「身体に安全な物質なら、環境を汚染してもいい」ということにはなりません。そもそもPRTRの骨子は、毒性を強から弱へ、「1発ガン性・2変異原性・3経口毒性・4吸入毒性・5作業環境濃度・6生殖毒性・7感作性・8生態毒性・9オゾン層破壊物質」の順で毒性をクラス分けしています。強弱を出現する場で分けていますから、人体と環境を区分してはいません。化粧品原料でPRTRに収載されているのは、先のLASとAEのほか、エチレングリコールなどがあります。

 またシャンプーや身体洗浄剤というボディシャンプーも、PRTRには載りませんが、弱酸性のものはMAPアルキルリン酸塩(ナトリウム・カリウム) とAESポリオキシエチレンアルキル硫酸塩、あるいはAGSN-アシルグルタミン酸塩(アミノ酸系洗浄剤)が主成分であり、それぞれリンと窒素を含んでいます。リンと窒素は通常の水処理場では処理できず、河川へ放出されると海域へ届き堆積して富栄養化を招きます。

* 9-4.河川・海域への親和、石けんの生分解性

 下水・下水処理場・河川・河川底質・河口域・海水・海域底質での、界面活性剤の分解は、化学的分解(光分解・加水分解・酸化還元反応)と生物的分解(生分解)とがあります。うち、生分解がより重要なものです。生分解にはまた、一次分解と究極分解があります。一次分解は界面活性が失われる濃度の指標にすぎませんが、究極分解は、有機物が最終分解物である、炭酸ガスと水(好気性条件)に分解するか、またはメタン・硫化水素・炭酸ガス(嫌気性条件)にまで分解する指標です。

 界面活性剤の残留が事実上0になるのがその時で、究極分解の可能なものが、ベストな界面活性剤にほかなりません。石けんはまちがいなく100%究極分解されます。合成界面活性剤ではAS(アルキルエステル硫酸塩)が石けんに近い能力があり、その他のものはすべて難分解のものです。下水・河川など、環境中に排出する汚濁負荷量は、BOD(生物化学的酸素要求量)・COD(化学的酸素要求量)・TOC(全有機炭素)・TOD(全酸素要求量)などの指標があります。

 うちよくつかわれるBODは、有機物が微生物で分解される過程で消費される酸素量を、「20℃5日間の消費酸素量」で表わすものですが、粉末洗濯石けんは、標準使用量50g/30L(BOD42.63g)、コンパクト洗濯用合成洗剤は、標準使用量25g/30L(BOD6.25)、などと比較されます。5日という日数限定であることに注意が要りますが、石けんが合成洗剤の数倍に相当するBODをもつ物質であることが指摘されています。

 有機汚濁の指標であるBODの増大は、河川中の清水の指標であるDO(溶存酸素濃度)の低減をまねきます。生活雑排水の一部である、洗濯排水の質と量も、日々問われなければなりません。おしなべて大量につかわれるのものは、システム全体で環境負荷がかかります。石けんもまた、無為に大量消費されていいものではありません。

 かといってBODが小さくても、究極分解ができなければ、環境中に負荷が残留します。当初の負荷が大きくても、究極分解ができれば、結果の残留はゼロになります。経過と結果のどちらが大事かという二者択一ですが、環境の将来のためには、もちろん結果をとるべきでしょう。さて、実地試験である「リバーダイアウェイriver die away試験」によると、河川中の石けんは、20ppm(20mg/L)以下の濃度、10℃〜40℃の温度で、すみやかに100%分解し、環境になんの影響も残さないことが分かっています。 注)吉村孝一、荒勝俊、林克巳、川瀬次郎、辻和郎(1984)、河川中におけるLASおよび石けんの生分解性、陸水学会誌、45、204-201

 関係する石けんの濃度ですが、洗濯時の粉石けんは、だいたい100ppm〜1000ppmくらいでつかわれ、すすぎで10ppmくらいに希釈されて下水から河川(または処理場)へ排出されます。また河川の水温については、季節・地域の別もみこんで、数℃〜30℃、年間平均は10℃〜30℃くらいです。いずれも石けんの素早い生分解をさまたげません。実験室でのフラスコなどによる生分解度試験は、リバーダイアウェイ試験より日数がかかるといわれますが、JIS法の「TOC(全有機炭素)」の例では、30ppm試料石けんが、100%究極分解するのに1日、ASとAOSが5日、AESが20日、AEが30日、LASが(70%究極分解)50日、APEが(53%究極分解)50日というデータがあります。(注:下記参照)

 100%究極分解するのは、石けんが1日、ASが5日ですが、ASは1日で事実上90%以上の分解に達していますから、あとは硫酸基の分解が残るのであり、みかたは単純でありません。ただ、河川中でおきていることが、おそらく複合的な理由で実験室よりすみやかであるなら、石けんは河川中では、1日をまたず生分解し、ASも1日で99%くらい、数日で100%究極分解するとみていいことになります。生分解が遅いLASなどの場合は、パターン通りなら、原型をたもちながら、河川を通過して海まで出てしまいます。

 リバーダイアウェイ試験では、LASも15℃以上、10ppm以下ならは痕跡も残らないという有為なデータがありますが、他方で10ppm、好気性条件下でも分解しないというデータもあります。条件でふらつくデータは、否定的な方をとっておくべきでしょう。

 石けんの場合は、先のように通常10ppm以下とみられる排出では、100%究極分解されるまで、1日24時間も要しません。BODが大きくてもきちんと生分解されるものです。また、一部は金属石けんとなって底質に沈殿しますが、これもいずれは生分解されるか、または水生生物の食餌になったりします。10℃よりはるか低温の、氷結状態の河川では、分解まで多少時間がかかるかもしれません。

 石けんは、常時負荷なくすみやかに生分解されていることになります。また、石けんは、広範な温度域でよく分解し、好気性・嫌気性の区別・影響もなく、他の有機物の共存にも影響をうけません。石けんの確実な生分解性に比肩する合成界面活性剤はありません。いいというAS(アルキルエステル硫酸塩)も、ただ後につづくだけです。生分解性の順序は、次のようになります。

界面活性剤好気性究極分解 JIS法 30mg/L ----------------------------------------- Soap>AS=AOS>AES>AE> LAS> APE ----------------------------------------- 1d 5d 20d 30d 50d(70%) 50d(53%) 注)Sekiguchi,H,.Miura,K,.Oba,k.and Mori,A(1975)、 Biodegradation of α-olefin sulfonate(AOS) and other surfactants,油化学,24,145-148/28.199-204

 Soapは石けん、ASはアルキルエステル硫酸塩、AOSはアルファオレフィンスルフォン酸塩、AESはポリオキシエチレンアルキルエーテル硫酸塩、AEはポリオキシエチレンアルキルエーテル、LASは直鎖アルキルベンゼンスルフォン酸塩、APEはポリオキシエチレンアルキルフェニールエーテルの略です。

 後の方ほど生分解性が悪くなりますが、構造的にもアルキルフェニル基をもつLASと、オキシエチレン鎖をもつAESは、好気条件では良く、嫌気条件では悪いといわれます。またアルキルフェニル基とオキシエチレン鎖をもつAPEは、好気・嫌気条件とも分解されにくいといわれます。

 下水処理場で98%以上が除去されるというLASは、その分解中間体の炭素数3-10のSPCという分解生成物が存在することが報告されています。APEも下水処理場の処理水・地下水などに、中間生成物NP(4-ノニルフェノール)とOP(4-オクチルフェノール)が検出された報告があります。ちなみに非イオン界面活性剤から出るこのNPは、内分泌攪乱物質(環境ホルモン)であることが確認されています。OP・NPIEC・NP2EC・NP2EOなども、その可能性が疑われています。

 水生生物・魚に対しての毒性はAE・LAS・AES・AOS・ASで認められ、とくに多量につかわれ始めたAEの毒性と濃縮性が大きいという報告もあります。ちなみに石けんの脂肪酸別の生分解性は、つぎのようです。アルキル基が分解されていくため、短鎖の脂肪酸ほど、また不飽和基の多いほど生分解されやすくなります。

脂肪酸別の生分解性 ------------------------------------------------------------- C12>C10=C8>C14=C18:2> C18:1> C16> C18 ヤシ油脂肪酸 ダイズ油 オリーブ油 牛脂 パーム油脂肪酸 -------------------------------------------------------------

 C12はラウリン酸、C10はカプリン酸、C8はカプリル酸、C14はミリスチン酸、C18:2はリノール酸、C18:1はオレイン酸、C16はパルミチン酸、C18はステアリン酸です。また、石けんは、河川中でその14%〜25%くらいが金属石けんを生成し、1部は沈殿し底質に移行するといわれます(注:吉村等,1984)。ただ、組成上いずれは究極分解するもので、魚の食餌になるともいいます。

 そのほか、油脂類そのものは、以上の生分解性のよい石けん・脂肪酸と同列には扱えません。石けんは、脂肪酸アルカリ塩という化学物質ですが、水に溶解すると脂肪酸イオンとアルカリ金属イオンに分れます。したがって石けんと脂肪酸の生分解性は並行的です。油脂は脂肪酸と三価アルコールであるグリセリンとのエステルで、化学構造が異なるばかりでなく、本来水に不溶のものです。生分解性については別物といっていいもので、環境中にそのまま放出することはできません。

* 9-5.BODと河川の自浄作用

 河川には自浄作用があります。河川に流入した汚濁物質のうち、1部は徐々に沈殿して低質に吸着し、1部は水と混合して希釈拡散していきます。これを物理的自浄作用といいます。河川に有機性の汚濁物たとえば家庭下水が流入すると、微生物の作用で無機化します。これを生物学的自浄作用(狭義の自浄作用)といいます。このとき水中に溶けている酸素DO(溶存酸素Dissolved Oxygen)が消費されます。

 普通の河川水域はこの自浄作用がはたらき、有機物は好気性菌に捕食され、炭素は二酸化炭素CO2に水素は水に窒素は硝酸にリンはリン酸に硫黄は硫酸になります。一連のプロセスですが、最初にDOが減りCO2が増え、つづいて好気性微生物の数が増えますが、すぐ水面との接触で酸素が取り込まれてDOが増えはじめ、大気との間で平衡しているCO2が減り、好気性微生物が減っていきます。この間、有機物汚濁は漸減していって、DOの回復とともに投入前のレベルに戻ります。微生物によるこの生分解の進行速度は、ひとえに河川水の流速できまります。世界の河川の流速は、0.03m/s(0.108km/h)から1.83m/s(6.6km/h)くらいで、緩慢・低速・中間・急流に区分されます。そして世界の河川は低速・中間がほとんどですが、日本の河川は急流に属します。

 日本という国が地勢的に特異な国といわれるのはこの点です。汚染されているといってもいまだ清烈な河川の国であり、世界にまれな軟水の国です。そのアドバンテージの本質は、この河川の比類ない落差と流速にあります。さて以上の自然の浄化作用を前提に、BODなど水質汚濁指標をみてみます。よく議論になる水質指標BODですが、否定してしまうのは論外としても全面的に肯定されてしまっても事実を誤ります。

 有機物の水質汚濁指標には、BOD(生物化学的酸素消費量Biochemical Oxygen Demand)、COD(化学的酸素消費量Chemical Oxygen Demand)、TOC(全有体炭素Total Organic Carbon)、TOD(全酸素消費量Total Oxgen Demand)があります。うちBODはもっぱら河川の汚濁指標、CODは湖沼と海域の汚濁指標、TOCとTODはすべての汚濁指標に用いられます。

 それぞれ特色がありますが、「新水道水質基準(編者/日本環境管理学会 発行/丸善)118〜119P」は、指標のそれぞれの性格を要領よくまとめています。「環境水質学(宗宮 功 津野 洋共著/コロナ社)76〜88P」は,指標のそれぞれの本質を系統的にとりまとめています。「環境工学(著者/住友 恒 村上仁士 伊藤禎彦 発行/理工図書)50〜57P」は、指標のそれぞれの確度をThOC(理論的有機炭素量)と比較しています。いずれもBOD(とCOD)については辛口の批評がついています。

 BODの測定は、BODビン(と呼ばれる)と、微生物を適量入れた酸素飽和の20℃希釈水を用意、河川からの試料水をBODビンに入れて希釈水で希釈し、好気性微生物が有機物を分解するプロセスをみます。分解とともに酸素が消費され、20℃5日間後の溶存酸素DOを定量、DO0ーDO5の差をBOD値とします。当然のことながらBODビンの中の試験水は、暗所恒温で静置培養されますから微動もしません。流速はゼロで酸素は水気界面から補充されず、溶存酸素は微生物の活動でただ消費されていくだけですから、自然界より条件は悪化し反応は遅くなります。かろうじて緩慢・低速の河川のモデルにはなるでしょう。

 20℃5日間がセオリーのため正式にはBOD5と書かれますが、『5日間の保持では、まだ有機物の分解途中に過ぎない。含まれる有機成分により分解の速度および進行パターンも異なり、指標として確実ではない』といわれています。実際自然の河川であれば1日〜数日で生分解される易分解性の有機物でも、閉鎖性のBOD瓶のなかではゆっくりと分解されていき、最大でも30%から70%くらいの分解で5日を終わってしまいます。難分解性のものはもっとかかりますからBODは途中経過の数値に過ぎないといわれています。

 また『BODは、好気的に代謝分解する過程で消費される酸素量を測定するが、それは微生物が分解できるものを計量するものであって、分解できない有機物や毒物は定量できない。河川や水域の水質汚濁で有機性汚濁が生じた場合,どの程度の酸素量(DO)が消費されるかという、可能性を測るものであり、食酢による汚れ、ご飯(穀類)による汚れとかいった、特定有機物群による汚れを示すものではない』といわれます。河川中の易分解性有機物を酸素消費からみた指標ですから、非分解性のものは計量できず、難分解性のものは計量しても比較にならないといっています。また河川をはなれて有機物質の汚濁値には援用すべきではないともいっています。

 日本工業規格のJIS-K-0400-21-10「水質ー5日後の生物化学的酸素消費量(BOD5)の測定」には、『単一で明確に定義された化学反応を用いる他の方法と異なって、得られた結果はあいまいで厳密さに欠けるところがあるが、水質の評価に用いることができる』と解説しています。試験方法としての厳密さはなく、また希釈の問題、微小な数値の信頼性について「環境水質学」はつぎのように述べて4ppm以下の精度は否定しています。 『試験の条件は、希釈は2倍までとし、BOD瓶中の酸素が23%から89%消費されるような条件で、20℃の酸素飽和値を8.84mg/lとすると、8.84×0.23〜0.89×2倍希釈>4となり、最低値は4ppm(4mg/l)となる。河川の環境基準がAA(1ppm),A(2ppm),B(3ppm,C(5ppm)と設定されているのは,分析技術からすると妥当でなくすなわちそれは行政目標というべきものである』

 JIS規格書も『条件的に計測できる汚濁の範囲は,BOD5で3mg/l〜6000mg/l、CODCrで30mg〜700mg,TOCでは0.1mg/l〜1000mg/l』と規定しています。要するに、行政が各地で設定している河川・湖沼の環境基準と発表数値である、水道1級AA=BOD1mg/l、水道2級A=2mg/l、水道3級B=3mg/l、工業用水1級C=5mg/l、工業用水2級D=8mg/l、工業用水3級E=10mg/lなどの数値は、「3mg/l以下」と5mg・8mg・10mg/l以下」に分類すべきもので、1〜2mg/lは「行政目標」に過ぎないという結論になります。

 CODはBODとちがって、河川でなくもっぱら湖沼・海域の水質指標につかわれますが、有機物を過マンガン酸カリウムと加熱反応させる「過マンガン酸カリウム消費量CDOMn」と、高温長時間反応で完全酸化させる「二クロム酸カリウム消費量CDOCr」の2法があります。ポピュラーなのは前者ですが、せいぜい60%くらいの酸化反応といい、『酸化は完了していないため、数値は適切でないと』とコメントされています。

 グローバルには後者の二クロム酸法に移行しつつあり、JIS規格も当初から二クロム酸法ですから,時代の趨勢はこちら(CODCr)になってきています。CODCrは酸化が完全にちかいため数値も的確ですが、まだ普及していないのが現状です。TOD(全酸素消費量)は試料を900℃で燃焼、有機物を酸素ガス中で酸化させ、炭素・水素・窒素・リン・硫黄などの消費酸素をすべて計測します。精緻なものですが、誤差の補正が必要だったり、非日常的な条件下の測定法という点からまだポピュラーではありません。

 TOC(全有機体炭素)指標は、有機物を燃焼等の酸化反応で二酸化炭素に変換、赤外線分光などで定量します。あくまで炭素の総量で、酸素・水素・窒素・リン・硫黄などを計量しませんが、有機物のうち多くを占めるのは炭素にほかなりませんから,総量はべつとすれば比較には信頼性があります。そのため界面活性剤の生分解試験も,陰イオン界面活性剤はMBAS(メチレンブルー活性物質)とTOC、非イオンはCTAS(コバルトチオシアナート活性物質)とTOCというように並行試験にもよく用いられます。

 具体的には、MBASやCTASは「界面活性がなくなる」という一次分解のモノサシであり、TOCは「100%生分解される」という究極分解のモノサシであるという意味の大きな差違になります。その点ではBOD5も、内容的に一次分解に相当するものにすぎません。結局、数値を問題なく援用できるのは、CODCr・TOC・TODという指標になります。以外にThOD(理論的酸素消費量)とThOC(理論的有機性炭素量)という指標があります。理論値であるために正確なものです。そのThOD(理論的酸素消費量)との比較でそれらの生分解性の度合が分かります。

。ThODを100%酸化・生分解・無機化とするときの、CODcr・CODMn・BODu20・BOD5の生分解度%は、それぞれ次のようになります。

100%=ThOD------理論的酸素消費量 ---------------------------------------------------- 90%=TOD--------全酸素消費量 80%=CODcr------化学的酸素消費量 55%ー70%=CODMn--化学的酸素消費量 55%ー65%=BODu---生物化学的酸素消費量(20日間培養)-硝化 35%ー50%=BOD5---生物化学的酸素消費量(5日間培養)-硝化 ---------------------------------------------------- 有機性炭素濃度 100%=ThOC(40%)-理論的有機性炭素量 90%=TOC(38%)---全有機性炭素量

 理論有機性炭素量は、炭素・水素・酸素・窒素・リン・硫黄などを含む有機物のうち、有機物の本質である炭素のみをとったものですから、ThODから比べれば40%のものですが、炭素体単独では100%の指標のものです。

 すべての基準になる理論的酸素消費量ThODは、有機物が酸化・生分解・無機化する作用を理論値で計算するものです。たとえばグルコース(ブドウ糖)は、次のように酸素を消費して、二酸化炭素と水を排出しますが、分子量を計算して1gにつき1.07gの酸素を消費することが分かります。

 C6H12O6+6O2=6CO2+6H2O C6H12O6分子量180+6O2分子量192 192/180=1.07

 石けん(ステアリン酸ナトリウム)は1gにつき酸素2.69g、LAS(直鎖ドデシルベンゼンスルフォン酸ナトリウム)は1gにつき酸素2.34gです。ThODはBOD5・CODの不確定さはなく、100%究極分解した場合に消費されるべき酸素消費量ですから、生分解が異なる物質の比較のため日数で区切った場合は、酸素消費量に大きな差がでます。1日で100%生分解する物質は5日間かけても100%のままですが、20日で90%分解する物質は5日でようやく23%です。ThODが両者とも2gであるとすると、5日間の前者の酸素消費量は2gですが後者のそれは0.5gです。

 これはBODビンのなかでは起りませんが、急流の河川のなかでは日常的に起こっていることです。世界の河川ではありません。日本の河川のことです。本来ThODで差がない(酸素消費量に差がない)物質がBOD5では4倍になったりする理由がこれです。生分解性の差に由来しますから、生分解性を判断に組み入れないBOD5の議論は適切ではないことになります。BODの仕様からくる当然の誤差ですから、BOD5の意味を咀嚼していないと誤認につながります。

 石けんと合成洗剤に格差があるのは酸素消費量でなく標準使用量です。そして標準使用量の差はcmc(臨海ミセル濃度)の差です。cmcは洗浄力が発揮される(またそれ以上の濃度でも変化しない)ピンポイント濃度のことですが、石けんは本質的にcmcが高く、合成洗剤は相対的に低くなります。イオンの影響をうけない非イオン系合成洗剤はさらに低く、石けんのおよそ1/10のcmcです。石けん・粉石けんの分子量は300、洗濯用合成洗剤はα-スルフォ脂肪酸エステル塩が分子量300、直鎖アルキルベンゼンスルフォン酸塩が分子量340くらいです。

 うち合成洗剤の標準使用量は、25g/30l×0.34=8.5/30l(0.03%)で、石けんは助剤(短酸ナトリウム)の有無にかかわらず30g/30l(0.1%)です。界面活性剤として石けんは合成洗剤の3.5倍の物量になります。酸素消費量に換算しても倍率は変わりませんから負荷量が3.5倍です。事実上CODCrとTOCの値にちかいものです。BODがさらにその倍の7〜8倍になるのは先のようにBODのもつ仕様自体の誤差にほかなりません。

 したがって次のような表で比較対照する場合、端的にBOD値をクローズアップするのは適正な話とはいえません。この表にはコンパクト合成洗剤と粉石けんのTOCがなく、CODmn(7.2倍)とBOD(6.82倍)でのみ比較されています。

------------------------TOC(mg/l)-------COD(mg/l)-------BOD(mg/l)---- コンパクト合成洗剤------(標準25g)-------1.79------------6.25 粉石けん----------------(標準50g)------12.88-----------42.63 --------------------------------------------------------------------- 合成シャンプー----------136--------------41-------------695 合成リンス---------------35--------------18--------------84 全身洗浄剤--------------230-------------128-------------865 台所用洗剤--------------158------------- 69-------------303 石けん------------------534-------------155-----------1,834 ---------------------------------------------------------------------- 出典:「Q&A(改訂)水環境と洗剤(編集:(社)水環境学会編集 発行:ぎょうせい

 正確を欠くBODやCODmnが、なぜ現在も水質の指標としてオフィシャルにつかわれているのかという点と、また水質の指標にすぎないBODが、なぜ「有機物の汚濁の指標」としてポピュラーにつかわれているかという疑問が出てきます。理由は一概ではありませんが、この2世紀の間河川の汚濁指標としてはとりあえず他につかえるものがなく、歴史を降るあいだに河川の指標ののりを超えてつかわれてしまったというのが実情です。ヨーロッパとアメリカでの話です。日本ではありません。日本はただ追従しただけです。

 BOD5のオリジナル(始源)は、18世紀後半からのイギリス産業革命までさかのぼります。産業都市マンチェスターの汚染が、グランドユニオン運河からテームズ川に入りロンドンを下って海へ至る約300キロの道のりにのべ5日間を要しましたが,この間にどんな汚染が生じているかを把握するために開発されたのがBODです。時速2.5km、0.69m/s(秒)は、ヨーロッパの河川では速い方ですが、運河のせいもあるとみられます。

 マンチェスターと伝えられますが、運河の中継点であるバーミンガムかコベントリーかもしれません。どちらもテームズ川河口まで150キロですから、時速1.25km、0.35m/s流速ということになります。18世紀末から19世紀初へかけての時代「運河狂時代」といわれた頃の話です。テームズ川のその20℃(常温)5日間測定法が、そのままアメリカで重用され、世界にひろまって現在に至っています。その間、BODのモデルである河川の流速はアメリカの地勢に適した0.1m/s平均に、有機物減少速度定数k1(計算係数)も0.1、再曝気係数k2(地表からの酸素補給量の計算係数)も0.5くらいに統一されてきています。水質指標のスタンダードではありますが、水環境は本来、国ごとに地勢的な隔たりがありますから、そのまま敷衍できる筈はありません。とくに日本では大きな格差がありました。

 日本の河川は,ヨーロッパやアメリカのみならず世界にも類のない急勾配をもち、先のように水は山野を文字通り駈けくだります。源流山岳に降った雨は、約200キロ先の河口まで2日以内に達するといいますから,人口の集積する中流から下流域からでは、1日24時間も要しません。

有機物減少速度定数(脱酸素定数)k1および再曝気定数k2 ------------------------------------------------------------------ 流況----水深(m)---------流速(m/s)-------k1(1/day)-------k2(1/day) ------------------------------------------------------------------ 緩慢流--3.05-6.10-------0.03-0.15-------0.033-0.06------0.05-0.10 低速流--0.92-3.05-------0.03-0.15-------0.05-0.67-------0.10-1.0 中速流--0.61-1.52-------0.15-0.61-------0.5-2.5---------1.0-5.0 急 流--0.61-3.05-------0.61-1.83-------0.2-3.33--------1.0-10.0 ------------------------------------------------------------------ Chandderton,R.A.,Miller,A.C.,andMcDonnel.AJ.,ASEC,EE5.pp1003-1013,1982

 流速は1.0m/s〜2.0m/sくらいで、k1も1.0〜3.0くらいです。ただ河川ごと測定地ごとに大きな変化があり、アメリカのような平均値はとりにくいといわれています。日本の河川の流速が2m/sの場合、時速は7.2km/h、173kmwを1日でかけ下ることになります。流速1m/sの場合はその半分の87km/dayになります。日本の河川の全長は100kmから300kmくらいで、ほとんどの人口が中流域から下流の平野に集中していますから、排出されるたいていの有機物は、1日で海域まで達してしまうことになります。

 ちなみに有機物の自然浄化は、「BOD有機物減少率」として先の有機物減少係数K1をつかって計算できます。この数値はBODの物質比較でないためモデルとして有効です。

L=1-10^k1

 アメリカの標準であるk1=0.1では、20.57%/1day、36.90%/2day、49.88%/3day、60.89/4day、68.38%/5dayです。10日で90.0%、15日で96.8%、20日で99.0%ですから、ほぼ20日かかって生分解されていることになります。

 流速が0.1m/sくらいなら、時速0.36km/h、10日で86.4km、20日で173km下ることになりますが、アメリカの河川の全長は数100kmが普通ですから、有機物汚濁は河川中で生分解して海域には達しません。もちろん難分解性のものは別で悠々と海域にまで達します。

 日本の有機物減少定数は1桁ちがい、k1=1.0くらいですから、有機物汚濁は90.0%/1day、99.0%/2day減少します。k1=1.5なら減少率は、96.8%/1day、99.9%/2day、k1=2.0なら減少率99.0%/1day、100%/2dayとなります。BODは現在もなおグローバルスタンダードな河川の水質汚濁指標です。けれどもそのグローバル性は2世紀の伝統をもつアメリカの河川の流速0.1m/sと有機物減少定数k1=0.1にもとづいています。またその数値は平均値が近似であるヨーロッパ全体もカバーしています。BODが不確実といってもアメリカとヨーロッパの長大な河川のモデルとしてはとりあえず使用に耐えるものです。日本では日本にみあった議論をしなければなりません。

 ひるがえって生分解性の可否により、有機物の去就は3つのパターンに分かれます。1つは先のように河川表層で微生物とDO溶存酸素によって、ただちに好気性生分解(二酸化炭素+水)するものですが、2つは、沈降し低質に移行して嫌気性生分解(メタン他)するか、あるいは低質に沈着滞留するものです。3つは、半端な生分解のまま(あるいはまったく無しで)海域に達して、閉鎖性海域の場合はそこに沈降堆積するものです。

 有機物汚濁の去就そのものも本質的な格差がありますが、到達点が海域であることには変わりありません。それに要する日数が大きく異なるところに問題の焦点があります。河川には自然の自浄作用があります。海域にもありますが河川よりはるかに小さな自浄作用です。
 洗剤でいえば、石けんと合成洗剤の間にラインが引けます。1日で生分解が可能と分析されているのは石けんと非イオン合成洗剤脂肪酸アルカノールアミドです。AS(アルキル硫酸エステル塩)とAOS(アルファオレフィンスルフォン酸塩)は、1日で90%以上生分解しますが、残る(石けんにはない)硫酸基など10%未満の分解のためにはのべ5日を要します。

 AES(ポリオキシエチレンアルキルエーテル硫酸塩)は20日、非イオン系のAE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)は30日、APE(ポリオキシエチレンアルキルフェニルエーテル)は短期間では完全には分解せず、30日で50%、LAS(直鎖アルキルベンゼンスルフォン酸塩)も30日で70%です。注)JIS法30mg/l 界面活性剤の生分解性(JIS法)Sekiguchi,H.,Miura.K.,Oba.KandMori.A(1975)Biodegradation of α-olefin sulfonate(AOS)and other surfactants,油化学,24,145-148

 調査はJIS法「改」のものですが、培養水の成分%が異なるだけで洗剤30mg/lなど基本仕様はJIS準拠のものです。MBASとTOCが測定されますがここではTOCの数値をとっています。BOD瓶と同じく実験室の測定であり外から酸素が補充されませんから、分解速度は河川にくらべて遅くなります。したがって河川での挙動はもっと速くなると想定されます。それでも分解性のいいといわれる合成洗剤ASやAOSでもいくぶん(10%未満)残って、低質へ移行するか海域へ出てしまいます。アミノ酸系合成洗剤やアルキルリン酸系合成洗剤は生体成分に似た合成物質ですが、構造が複雑なだけ1日での生分解は困難とみられます。

 総じて石けんや脂肪酸アルカノールアミドは(限度を超える濃度でなければ)、好気性微生物によって1日以内に100%究極分解されますが、合成洗剤は生分解のすぐれたものでも1日では100%分解できず、残余が海域に到達します。閉鎖性海域であり総量規制が敷かれている東京湾・伊勢湾(三河湾をふくむ)・瀬戸内海は、いまでも低質で汚染が進行しています。下水処理されている場合でも、汚濁物質は20mg/lくらいは除去されず出されてしまいますから、生分解性のいいAS・AOSもたとえば2mgくらいが排出され、その2mgの10%0.2mgは分解せず海域に到達することになります。

 また海域での生分解は、河川の数倍から10倍ちかい日数を要するといわれています。どんな洗剤も最終的には究極分解されるといいますが、難分解性のものの去就ははっきり分かっている訳ではありません。低質に沈着して層をなせば形成するヘドロの1部になります。現在、水の使用排出(事実上水圏への汚濁)は、農業系65%、工業系15%、生活系20%くらいで(都市圏は生活系が増大します)、生活系はさらに、し尿40%・風呂排水30%・台所20%・洗濯10%くらいといわれています。したがって全使用排水からはし尿8%・風呂排水6%・台所4%%・洗濯2%くらいになります。し尿以外を「生活雑排水」といいますが、食品から洗剤までがここに入ります。

 DO(溶存酸素)の飽和濃度は20℃8.84mg/lで、日本の河川は普段からそのくらいあります。これが上限で有機物汚濁が自浄されるDOの下限は4.0mg/lくらいです。先のように流入した有機性汚濁は、ただちに微生物による生分解をうけ、DOが消費されて一時的に減りますが、すぐ接触する水面の空気から酸素を取り込んで、DOはふたたび飽和状態へ回復します。ただDOが不足する場合がありえます。

 1)水温が高くなりすぎるとき(酸素の水への溶解度が低下する)、2)水域が停滞するとき(酸素の補給が不足する)、3)有機物のうち窒素とリンの化合物(栄養塩類)が増えて「富栄養化現象」が起こるとき(特定生物の異常発生による酸欠)、4)流入する有機物質が一挙に増大するときなどですが、急流である日本の河川では、異常な高温も停滞もまずなく、有機物の極端な増大も通常はありません。

 継続的に大量の有機物が流入しDOがゼロになるような極端な場合は、好気性微生物は棲息できなくなり、有機物汚濁は嫌気性微生物による生分解が行われるようになります。酸化でなく還元による分解(腐敗)が進行し、メタンCH4・アンモニアNH3・硫化水素H2Sなどが生成し、悪臭を発生して酸欠で魚は窒息し河川はいちど死にます。

 過去にはあった河川破壊ですが、生分解性のいい有機物汚濁でそうなるならまだ救いはあります。たとえば小流域ぐるみ雨水の利用を励行して、徹底的な希釈排水を試みることができます。水資源の循環にもなり河川そのものを直接浄化再生することにつながります。希釈された有機汚濁物も再び河川中で100%生分解されるようになります。

 生活雑排水の有機物のなかに本来ではない(意図していない)夾雑物が存在することがこれからも抱えていく問題です。食品にふくまれる残留農薬と保存料などの合成化学物質、薬品と各種合成洗浄剤などですが、微量なもので排出後の去就が分かりません。ただ嫌気性分解が行なわれる場合の挙動と、河川・海域の低質への沈着などは汚染の1要素であることはまちがいありません。

 生活雑排水は意識的に大量な有機物質を流すのでなければ、河川の自浄作用はくつがえりませんが、汚濁物にはちがいありませんから、排出は極力少量にすべきことは当然です。石けんももちろんその例にもれません。ただ微量でも影響が大きい窒素とリンを余剰に排出しないことを心がけるのは、他の要素よりはるかに重要なポイントと思います。最近の低刺激性洗浄剤・弱酸性洗浄剤などは、窒素・リンをふくむものが少なくありません。

 水質汚濁指標には総合指標と個別指標の区分があります。BOD・COD・TOD・TOCなどは有機物全般を対象とする指標であるため総合指標といわれます。以外の有害物質や窒素・リンなど富栄養化物質は個別指標として水質基準がもうけられ必要であれば監視測定されます。洗剤の個別指標は「陰イオン界面活性剤0.2mg/l以下」で、JISの合成洗剤生分解試験法でもあるMBAS(メチレンブルー活性物質)を測定しています。ただ一次分解にすぎず測定手法としては不完全なものです。

 総合指標と個別指標の区分また生分解の易性・難性を分ける分岐点は、結局河川での滞留日数にほかなりません。日本の河川では1日で生分解できるかどうかが分岐点ですから1日の易難で区分されなければなりません。

* 9-6.日本は軟水の国

 石けんの価値観は国によって違いがあります。土地の上水道の硬度の程度によって、つかい勝手に大きな相違がでるからです。日本は希有な軟水の国であり、ヨーロッパをはじめ世界の多くの国の上水は硬水のものです。水の硬度とくに硬水・軟水の区別は、昔も今ももちろん石けんの使い良さ・悪さで決まっています。味覚などではありません。

 石けんのつかい勝手によるために、金属石けんの生成による影響で、最低2か所の線引きが要ります。一つは「石けんがぎりぎり使用できる限界」で、もう一つは「石けんが不都合を感じ始める境界」です。先のものが「硬水の終点」であり、後のものが「(軟水の終点)硬水の始点」です。

 日本の石けんは一世紀の歴史がありますが、当初からドイツ硬度(DH)が採用され、前者の「使用できる限界」が20°DH、後者の「不都合の始り」が10°DHとされてきました。現在のスタンダードであるppm換算(CaOmg/100cc×17.85=CaCO3mg/L)では、それぞれ、357ppm、178.5ppmということになります。簡略にすると、180ppmラインを基準に以下が軟水、以上が硬水、硬水の限度は360ppmというのが、硬度に対する従来からの一般的な見解です。

 ヨーロッパがおしなべて200〜400ppmという硬水と言っても、17世紀のサボン・ド・マルセーユ(マルセーユ石けん)が興隆をみたのは、石けんが必要十分につかえたからにほかなりません。いまでももちろんつかえます。現在は、詳細なppm単位で次のような表がよくつかわれています。軟水・硬水の表記は不統一ですが、事実上、180ppmからが本来の硬水という意味です。

---------------------------- きわめて軟水----0〜40 軟水------------40〜80 やや軟水--------80〜120 やや硬水--------120〜180 硬水------------180〜300 きわめて硬水----300以上 -------------------------

 360ppmでなく300ppmが表示の上限になっていますが、これは「水道水質基準」と関係があります。日本の「水道水質基準」は、歴史的に「硬度300mg/L(300ppm)以下」を基準値としてきました。1993年に35年振りに改正されたときも、この硬度の基準値は変更していません。硬度の基準値のいわれも、「泡立ちの悪い水を硬水といい、石けんの使いやすさの程度を数値で示したもの」と明示されています(新水道水質基準ガイドブック)。変更しなかった点については、「石けんの泡立ち等への影響を防止する観点から、従来通り300mg/Lとする」という理由が付されています。

 300ppm以下なら、とりあえず石けんがつかえるだろうという判断ですが、現在の感覚では苦しいかもしれません。当否は別として、そういう理解がまかり通る背景があったということです。ちなみにWHOのその基準は500ppmです。

 また、「胃腸障害・ボイラー適性・味覚」など、複数の指標も検討され、とくに味覚のためには、別途「快適水質項目」による硬度を「10mg/L〜100mg/L」と定めています。

 とくに味覚をいうのは、水の品質が低下してきているからにほかなりません。ちなみに美味という点でいえば、硬度40ppm〜60ppm辺りが最高といわれています。硬度を落しても上げすぎても、おいしくはありません。また味覚上の、硬度を含む総ミネラルはその倍くらいが推奨されています。

 ひるがえって、今でも金属石けんによる洗浄力の減退を、身をもって実感する硬度は、150ppm、180ppm、人によっては200ppmといいます。表記の上でも硬水・軟水の境界を200ppm、180ppm、150ppmなどいろいろ言っています。輻輳しているようですが、そうではありません。DHからppmにかわり、最初からppm単位で考えるためにできる差違です。「石けん」に収斂する硬度は、あくまで180ppmがスタンダードで、その180ppmは、またドイツ硬度10°DH(178.5ppm)に由来するものです。DH硬度くらいの大まかな単位が、石けんには適当だったのです。

 さて現在、日本の水道水(普及率96.4%)の72%相当を占める河川表流水・ダム・湖沼水由来の水道水は、60ppmまでで全体の86.1%、80ppmで全体の93.6%、100ppmで全体の97.3%を占め、100ppmを超えていくのは全体の2.7%です。平均値は39.5ppmという軟水です。古来日本の水道の硬度が、「平均40ppm」といわれてきた理由ですは、それは事実上、日本の河川の平均硬度に由来するものです。 注)資料:日本水道協会「原水及び浄水水質の分布表、平均値1999」から http://www.jwwa.or.jp/mizu/bunpuM.asp

 28%を占める原水は地下水・その他であり、こちらは平均硬度値が59.7ppm、60ppmまでで全体の59.8%、80ppmで全体の79.0%、100ppmで全体の90.6%を占め、100ppmを超えていくのは全体の9.4%です。

 河川表流水・ダム・湖沼水・地下水、全原水の平均値は54.2ppm、60ppmまでで全体の67.0%、80ppmで全体の83.0%、100ppmで全体の92.4%を占め、100ppmを超えていくのは全体の7.6%です。

 全体平均値をとって、40ppm(表流水・ダム・湖沼水)〜60ppm(地下水)が、日本の上水の硬度というべきでしょう。文字通り「きわめて軟水」のため、直接比較体験をしてみないかぎり、ユーザーが金属石けんの生成に困惑を感じることはありません。日本以外で軟水といわれるのは、南米の一部、イギリス、アメリカのニューヨーク・サンフランシスコなどに限られています。アメリカでもロサンゼルスは300ppmを超える硬水で、ヨーロッパも200〜400ppmの硬水です。ひるがえって日本の軟水は、狭い国土と急峻な山岳から、落差をもって流れ落ちてくる清烈な流水に由来しています。これは世界に普遍的なものではありません。世界の多くの河川は、ほとんど高低差なくゆっくりと流れ、あるいは淀み、その間に地上の多くのカルシウムとマグネシウムを水中に溶かします。汚染されつつあるといっても、日本の川はいまだ世界にまれな「清水の川」です。

 さて、金属石けんの生成は、次のような式に従い、炭酸カルシウム1molに対し石けん2molが結合します。注)Rは炭化水素鎖の略

 2RCOONa=2Na++2RCOOー
 Ca+++2RCOO-=Ca(RCOO)2

便宜上の式(計算上の式)
CaCO3+2RCOONa=Ca(RCOO)2+2NaCO3

 炭酸カルシウム(分子量100.09)硬度100ppmは、100mg/L=0.1g/L=約0.001molで2価イオンのものですから、1価の石けん(平均分子量290)2分子、0.002mol/L=0.58g/Lが結合することになります。50ppmの場合は石けん0.29g、200ppmなら1.16g、300ppmの場合は1.74g/L相当消費されることになります。
 洗濯用粉石けんの場合、30L当り35g相当が標準使用量ですが、純度99%の石けんは水分12%程度を含みますから、

 35×0.88×0.99=30.492

 ほぼ30g/30000mL(0.001)、すなわち0.1%相当でつかわれていることになります。
 理論上、石けん30g/30Lにおける金属石けんの生成は、硬度50ppmでは8.7g(29%)、100mgでは17.4g(58%)、200ppmでは34.8g(116%)、300ppmでは52.2g(174%)相当消費されることになります。水分12%の99%純石けんに換算すると、それぞれ10g、20g、40g、60gということになります。つまり150ppmくらいで(標準使用量)投入石けん分は、すべて相殺されてしまい、ゼロになる計算です。

 結果を先にいえば、もちろん事実はそうなりません。論理値と経験値との決定的な差違が生じる例です。周知の事実ですが、洗濯用粉石けんはどんな水でも「標準使用量」でつかわれています。硬度の如何で「標準使用量」が変わることはありません。

 モノマー(石けん分子)のみが溶けている理想溶液中、また洗浄物が存在しない実験室の純粋な石けん水溶液下では、この種の計算が正しい場合があります。それでも、最低限、高位飽和脂肪酸の石けんが主体という条件が要ります。そして、そういう状況はきわめてが特殊であるために、一般的な説明に供することはできません。普通の状態で、カルシウムイオンのすべてが石けんの遊離脂肪酸と結合することは起こりません。

 理由はいくつもありますが、まず、石けん水溶液には、洗浄力が発現するcmc(臨界ミセル濃度)が存在します。すべての界面活性剤に特有なものですが、それ以下の濃度では洗浄力がなく、以上でも洗浄力は上がらないという限界濃度です。そして肝心な点ですが、cmc下の洗液の洗浄力は、あらかじめ必要よりはるかに大きな余剰能力をもっています。また、cwc(臨界洗濯濃度)という適切な濃度の考え方もあり、石けんの場合、「泡立ち」を重視すると、だいたいcmcの2倍相当の濃度をcwcに設定することになります。

 「臨界ミセル濃度cmc」のミセルの正体ですが、石けん分子が水中で数10集まって、球体のコロイドとなったものです。cmc付近の石けん水溶液中で、気体・液体の界面や容器側面に界面吸着しているモノマー(石けん分子)と、水中に分散しているモノマーの2種が溶解の飽和に達したとき、数10の石けん分子が疎水基を中心に会合していきます。洗浄の対象が放り込まれると、気体・液体の界面では、界面吸着しているモノマーが、対象物に吸着し(洗浄)し、水中では、分散しているモノマーが吸着しますが、モノマーの数が足らないと、ミセルがかたちを壊して自ら吸着することになります。

 作用としてのミセルは、モノマーの貯蔵庫のような働きをしていることになります。普段はミセルと隣接するモノマーとは、互いに入れ換りながら平衡を保っているといわれます。 ミセルのこのような動作は、実は、洗液の持続性という現象でも裏づけられています。石けん(他の界面活性剤も)の洗液は、1度つくったもので3回まで洗えるという事実があります。洗浄力を維持しながらの話で、洗浄力があきらかに無くなるというところまで洗うとなるともっと回数がもつといわれています。汚れの再付着という現象も一緒におこりますから、現実的ではありませんが、ポリエステル・ポリエステル混紡でなく、綿オンリーの場合は再付着もすくないといわれています。石けんの洗浄という作用は、結局、驚くほど希薄な濃度で行われています。ただその能力は、ミセルの存在があって初めて発揮されます。そしてミセルの発現は、つねに余剰の石けんをバックヤードに保有するという仕組をともなっています。

 カルシウムイオンは、希薄な石けん分子モノマーが、理想的に分散・吸着する現場でのみ、優先的な結合エネルギーを発揮します。そのために現実は、かならずある割合の限られたものだけが、金属石けんを生成して対象に膠着します。すべてがそうなることはありません。また、生成した金属石けん、とくにカルシウム石けん・マグネシウム石けんは、すべて水に不溶性という訳でもありません。脂肪酸組成による違いがあります。化粧・浴用・洗濯用粉石けんの成分は、多く牛脂+ヤシ油が主体で、内訳は、炭素数18:1のオレイン酸・18のステアリン酸・16のパルミチン酸が主成分ですが、C14ミリスチン酸・C12ラウリン酸が少量含まれます。

 C12ラウリン酸カルシウム以下の金属石けんは白色軟膏状のもので、水溶性を維持します。金属石けんを生成しても、再び加水分解して脂肪酸を遊離し、再度石けんに戻ったりします。C12ラウリン酸・C10カプリン酸・C8カプリル酸は、ココナッツ油(ヤシ油)・パーム核油にあわせて50%以上ふくまれています。
 ちなみにこのヤシ油単一油脂でつくられた石けんは昔から「海水石けん」といわれ、海水でも使用可能です。海水中のカルシウムイオンは400ppm、マグネシウムイオンは1300ppm(マグネシウムの方が多いのです)、比較対照になるCaCO3換算で、6350ppmという2桁も違う硬水です。塩化ナトリウムはさらに大量です。それでも使用できるのですから、石けんの潜在能力は半端ではありません。C18:1オレイン酸カルシウム・C18:2リノール酸カルシウムも軟膏状です。そして、C18ステアリン酸カルシウムとC16パルミチン酸カルシウムは、固体白色、脂性の粉状物質です。最後まで溶けることなく、残留付着を起こす金属石けんのほとんどは、この2種のカルシウム塩です。

 C16パルミチン酸とC18ステアリン酸が石けんに占める割合は、平均して15%〜40%くらいです。石けんが、モノマー(石けん分子)とミセルというかたちで存在するとき、カルシウム(マグネシウム)イオンが、まず、モノマーの解離する脂肪酸イオンと優先的に結合しますから、実際上の金属石けんの安定的な生成は、15%〜40%よりずっと少なくなります。

 一方でC16・C18以外の脂肪酸も、随時不安定な金属石けんを生成し、溶解して再び石けんに戻ったりしていますが、1種の平衡を保っているとみられますから、硬度がたかくなるほど、平衡がくずれ、みかけ上の金属石けんの生成は増大します。つまり硬度150ppmくらいになると、硬度成分の無制限な供給が、石けん=金属石けんの平衡を、圧倒的に右辺に偏在させ、洗浄力を大幅に失活させます。 ちなみに、河川中の石けんは、その14%〜25%くらいが金属石けんを生成し、1部は沈殿し底質に移行するといわれます(注:吉村等,1984)。下水処理がない場合、河川の硬度は平均40ppm、石けんは通常1000ppm〜100くらいでつかわれ(洗濯・すすぎ)、さらに10ppmくらいに希釈されて河川に排出されますから、金属石けんが生成しやすい、(石けんモノマーのみの)理想溶液といっていい環境です。

 それでも、金属石けんの生成が100%でなく、石けんのうちC16とC18の脂肪酸石けんの割合である15%〜40%に近い、14%〜25%であるのは、生成する金属石けんのうち、不溶性のC16とC18の脂肪酸石けんのみが、結果として残留する証左になります。洗濯機の中の石けんの状態ですが、たとえばcmc0.03%(300ppm)くらいの石けん水溶液は、水面・壁面・洗濯物に吸着するモノマー(石けん分子)と、溶液中のミセルの、2者の存在があります。攪袢された状態では、ミセルがくずれてモノマーの割合が増大するとみられますが、金属石けん生成の理想溶液とは、まだ遠いものです。金属石けんは優先的に生成しますが、川におけるより、はるかに少ない%のC16・C18のみが、残留するとみられます。ただ、上記のように使用水の硬度が高まると、平衡がくずれて、みかけ上の金属石けんの割合は急激に増大して洗浄力を失います。

 河川中および実験器中の理想溶液で、平均20%の金属石けんが残留するとして、モノマーだけでなく、ミセルが存在する洗濯溶液下でも、多めにみて当量の平均20%を超えません。すなわち洗濯機中の粉石けんの標準使用量、30g/30Lのうち、6g(20%)以下が、金属石けんとして残留している勘定です。石けん当量を相殺する150ppm濃度あたりでは、溶液下で石けんと金属石けんが平衡しますが、結果残留するのも、6g(20%)くらいのままのC16・C18金属石けんです。

 ところで、軟水はたとえ硬度ゼロになっても、金属石けんの生成は完全なゼロにはなりません。人体・衣類の被洗浄物は、大気中の無機質を汗とともに吸着していますから、通常かなりのカルシウム・マグネシウム成分を帯びています。これがもちろん石けんと優先的に反応して金属石けんを生成します。ゼロ軟水でも金属石けんができる理由です。

 まとめてみますと、石けん(純石けん)と金属石けんとの関係は、きわめて親和的なものです。ほとんどが10ppm〜40、60ppmという日本では、金属石けんはもともと悪さをするものではありません。純石けんの場合、石けんは皮膚上に残留せず、膠着を起こすのは、ステRアリン酸とパルミチン酸のカルシウム・マグネシウム石けんのみですが、30分から4時間で復元するという皮脂の分泌が分解します。

 ちなみに潤滑剤でもある脂肪酸カルシウムのわずかな付着は、かえって石けんならではの爽快感(サッパリ感)の因になっています。ツッパリ感の因ではありません。ツッパリ感は純石けんでない石けんの緩衝性のない脱脂力が原因です。

 極度の軟水にすると、ヌルヌルになり、この爽快感は失われます。硬度が極端に高いと逆にまたヌルヌルになります。事実上、全身洗浄剤(合成界面活性剤のボディシャンプー)で顔を洗うのと、同じ感触になってしまいます。石けんへ移行するにあたって、この爽快感が重要な要素であったという人は少なくないでしょう。失いたくはないものです。

 皮膚への金属石けんの残留が悪影響を与えるという話もありますが、事実ではありません。手荒れの原因にもなりません。純石けんの手荒れは、あったとして頻度などつかいかたの問題であって、純石けんそのもの、また金属せっけんのせいではありません。

 髪の場合は、洗髪後にそのまま放置しても、皮膚より数倍多い頭皮の皮脂線が、24時間かけて脂分を復元します。金属石けんも皮脂の分泌とともにゆっくり分解されていきます。

 普通は酸性リンスをしますが、その場合は、pH3前後で環境が全面的に酸性化するため、酸の金属封鎖作用が容易に作動するとともに、髪の繊維上に疎水的に吸着している不溶性の石けんカスが、遊離・分解されて洗い流されます。同時にプラスに帯電した繊維は、隣り合わせる繊維との間にプラス同士の電荷斥力を起しますから、繊維同士の膠着が容易に解消されます。柔軟化(櫛通りの改善)の具体的な意味ですが、この静電斥力は疎水的な結合より大きな力です。

 伝統的な「髪の中和」という言葉も、「アルカリの中和」だけでなく「電荷の中和」という意味でもとらえれば、そのまま十分通用する表現かとも思います。
 洗濯物への付着もありますが、綿の繊維は付着が少なく、必要なら最後の濯ぎにに酸浴(酸性リンスと同じ)をかけることで、防げます。また、粉石けんの場合ですが、炭酸ナトリウムなどビルダー(助剤)が添加されると、加水分解が抑えられ、相対的に金属石けんの生成も抑制されます。ビルダーはキレート(金属封鎖)ビルダーとアルカリビルダーがあり、炭酸ナトリウムは、合成洗剤では、アルカリビルダーでしかないものですが、石けんでは、キレートとアルカリの2つの作用が発動します。

 2RCOONa=2Na++2RCOOー(解離)
 Ca+++2RCOO-=Ca(RCOO)2(不溶性金属石けん沈殿)
 RCOO-+H2O=RCOOH+OH-(加水分解アルカリ生成))

 ビルダー・炭酸ナトリウムの存在があると、炭酸ナトリウムのアルカリが優勢なため、石けん自体の解離と加水分解が相対的に抑制されます。したがって、上記の炭酸ナトリウムのキレート作用が並行的に優勢になり、不溶性コンプレックス「炭酸カルシウム」が優先的に生成されます。

 Na2CO3=2Na++CO3--(解離)
 CO3--+Ca++=CaCO3(キレート作用)*不溶性コンプレックス沈殿
 CO3--+H2O=HCO3ー+OH-(加水分解アルカリ生成)

 合成洗剤ではアルカリ剤でしかない炭酸ナトリウムが、石けんではアルカリ剤兼キレート剤となる理由です。浴槽・湯桶の汚れは、金属石けんと皮膚(ケラチンタンパク質)・皮脂脂肪酸などが主体で、金属石けんはその1部にすぎません。つねからそれなりの手入れをしていれば、残留付着も防げます。いずれも手間のかかるものではありません。石けんと金属石けんが親和的という理由です。

 先に指摘したように、洗濯用水の硬度如何で、粉石けんの標準使用量は変更されません。1世紀におよぶ石けんの歴史は、すくなくとも「きわめて軟水」である日本の石けんに対し、金属石けんの生成が不都合という議論はありません。合成洗剤メーカーはそう主張して、石けんを退ける理由にしてきました。

 さて以上は、自然の流水からひく(加工する)水道水の話ですが、ボイラーメーカーおよび軟水器メーカー(同一が多い)がいう軟水は、本来は軟水というべきものではありません。硬度が0のものだからです。

 ボイラーは灼熱高温で稼動するために、スケール(缶石)・スラッジという、容器に付着して腐蝕と短命の原因になる硬度成分(カルシウム・マグネシウム)が、全き夾雑物です。硬度0水が必須不可欠なものです。いきおい、石けんと金属石けんについての親和性は認めません。排他性を可とし、「軟水は硬度0のもの」とみなします。ボイラーのような高温を必要としない一般用途では、少しの硬度成分は、かえって腐蝕を防ぐ役割を果しますから、器具機械の寿命もかえって伸ばしたります。

 ひるがえって、軟水器による硬度0水は、石けんを指標としてきた一般的な軟水なのでなく、機能水の一種としてアドバンテージがあるものでしょう。金属石けんの生成がない硬度0水での石けん使用は、ピュアな洗浄力とともに、洗髪などに感動的な感触があり、その体験から強い愛着をもつ人が少なくありません。ただ、それはいわば「石けんの素顔」です。「裸の石けん」です。たとえば、ステアリン酸石けんの70℃の高温洗濯は、どんな合成洗剤も及びもつかない、猛烈な洗浄力を発揮します。これもいわば剥き出しの裸の石けんです。

 硬度0水も高温70℃も、どちらも自然には存在しない環境であり、それだけに石けんは普段、抑制のタガがはめ込まれている状態にあるといえます。タガが外されたときに、激しくも美しい素顔が表にでます。「石けんの素顔」という理由です。

 また、硬度0水下では、定説にさからってcmc以下の濃度でも洗浄力が発揮されるようです。攪袢中に現象としてのミセルが消滅し、モノマーのみの世界が出現している可能性もあります。あるいは、ミセルは単に分子の絶対数だけが一瞬構成されれば、それでよく、そこからの洗浄力は、モノマー単一でも、何ら変わらないものなのかもしれません。

 水も個性の時代ですから、いろいろ選択があって当然です。硬度0水使用における石けんのパワー向上も、単にイオン交換(金属封鎖)による洗浄力低下防止(本来能力発現)といった以上の、量的質的な増幅があるとみられます。直接関連しませんが、硬度0水溶液下の石けんが、水生生物に、自然軟水下の25倍におよぶ毒性を発揮するというデータも、平凡な事実ではありません。

LAS・AOS・石けんのTLmと硬度(注:「洗剤・洗浄の事典」) ------------------------------------------------------ 硬度   石けん  LAS   AOS ------------------------------------------------------ 0ppm   9ppm  12ppm  3ppm 10ppm  60ppm  5ppm  1ppm 50ppm  90ppm  2ppm  1ppm 500ppm 700ppm  1ppm  0.5以下 市水  150ppm  4ppm  1ppm ------------------------------------------------------

 この魚毒性データは、カルシウムイオン・マグネシウムイオンの濃度に比例して、石けんとショ糖脂肪酸エステルでは弱化、LAS・AOSでは強化、AE・APEの非イオン界面活性剤では、変化がないという特殊な結果を示しています。硬度0水と硬度10ppmの差はきわめてわずかなものですが、魚毒性に決定的な隔絶があることが読みとれます。この点をとっても、軟水・軟水器・軟水器メーカーなどに「軟水」の言葉は不適当です。硬度0水は軟水でなく、「non・hard water非硬水」というべきものです。蒸留水でも同様な結果がでますから、石けん+蒸留水の水生生物への毒性もまた、蒸留水そのものの特質なのでなはく、その「非硬度」性に由来します。

ヒメダカ致死濃度試験(注:小林勇「非イオン系合成洗剤」) ------------------------------------------------------ 硬度             石けん   LAS ------------------------------------------------------ 0ppm(蒸留水)       20ppm   40ppm 50ppm(カルシウム)    500ppm  10ppm 50ppm(マグネシウム)  50ppm   10ppm ------------------------------------------------------

 ちなみに、現在、企業の管理が義務づけられているPRTR法(環境汚染物質排出移動登録法)には、洗剤としてLAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸及びその塩)とAE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)が、第一種指定化学物質に指定されています。その理由は「生態毒性」であり、つまりは水生生物への懸念があるためです。硬度0水もデータは生態毒性に振られますが、本質的にハザード(被危険性)をもつのではありません。排出によって希釈の逆、つまり硬度成分の受容が起こり、河川・海域・水生生物への毒性は消失します。「石けんの素顔(裸の石けん)」が、剥き出しの洗浄力をもつという事実を意味するだけです。

 そうでない本来の軟水、日本の平均40ppm〜60ppmという軟水は、世界中のあこがれの的といっていいものです。したがって本来の軟水器というものは、300ppm以上の硬水を40ppm〜60ppmにする機器であるべきと思います。それなら軟水器そのものであり、非硬水(硬度0水)生成器とは異なるものになり、硬水地域では歓迎されます。ちなみにアメリカの古法である石灰軟化法は、水酸化カルシウム(消石灰)のみの投入で、300ppmの硬水を25ppm〜40ppmの軟水にしていました。元々は、こういうものが軟水器でした。

 自然の水は自らカルシウムとマグネシウムを含み、石けんがそれによって洗浄力を落すのも、自然の摂理のうちです。洗濯物・酸性物などと同様、金属石けんは、つかいながら洗浄力を落し、一段ずれてからまた回復するという、石けん独特の平衡作用に寄与しています。それがなければ、石けんそのもの作用もやはり損なわれます。また環境をいうなら、金属石けんの生成は環境に負荷をあたえるものではありません。負荷の少ない石けん生活を試みながら、あまり必要でない負荷をあらためて呼びこむ意味はありません。日本のこの素晴らしい水を、わざわざ人工の水で歪める必然性はないと思います。なにか儚いような話です。

* 9-7.ハザードとリスク

 合成化学物質に対するアンチテーゼは、概して人の心のなかに突然生れますが、人によって右往左往することがあります。考えがそちらへ向いても、現状を否定しきれないからです。この世界を信じていたいという気持ちが、防御本能のようにはたらくためです。けれどもこうした場合の否定も肯定も、根本のところで矛盾するものではありません。世界は結局不審のものですが、すべてがそうなのではなく、信頼していいものもまた、世界のなかに多くあります。そのとき、化学物質のハザードとリスクの関係については、咀嚼しておくべきことかもしれません。科学の名でリスク論が語られますが、かならずしもそれが全部ではありません。

*

 化学物質におけるハザード hazard は「被危険性」と訳すのが適当です。「危険性」、「有害性」、「障害」などとも意訳できますが、いろいろ分かりにくくなります。「被危険性」とすると「危険を被る可能性」という点で、状況がより的確に把握できます。一般に「有害性」のある物質も希薄濃度では有害ではなくなり、その場合物質はハザードの条件を失いますが、被危険性としてのハザードは、物質の濃度如何にかかわらず成立しています。また被危険性は「被る」という点で、主客(能受動)からは客観(受動)となり、因果からは要因(原因)となり、自己責任からは外れます。「被危険性要因」とすると、とりあえずいろいろ包括できます。「ISO14000sEMS(環境マネジメントシステム)」の用語を援用すると、「著しい被危険性側面」といったら適当かもしれません。

 これに対してリスク risk は普通「危険度」、「危険性確率と重篤度」などと訳されますが、意味を体現していません。「被危険性(ハザード)と対比すると「冒危険性(リスク)」と翻訳できますが、それでも結果(損失)をともなう可能性(確率)が問われるあたりが含まれません。

 日本リスク研究学会の『リスク学事典』では、「riskは、ある有害な原因(障害)によって損失を伴う危険な状態が発生するとき、[損失]×[その損失の発生する確率]の総和を指す」とされています。実際は、risk=事故発生の可能性(危険度)であり、「冒す」という観点では、主観(能動)となり、因果からは結果(損失)となり、全き自己責任の対象になります。また、riskの予測される将来(結果)は、peril(事故)であり、loss(損失)ですが、riskの語はそれら全部を可能性(確率)として含みます。

 「可能性損失への冒危険性」とするととりあえず包括できますが、可能性(確率)が計量できるものと決めてかかれば、「予測損失への冒危険性」とあらわすことができます。ISO14000s的には、「予測される著しい影響への冒危険性」といったら適当かもしれません。予測は見積とも期待とも言い換えができます。ちなみに哲学用語から援用すると、ハザードは「アプリオリ(先験的)な被危険性(はじめから性質としてもつ危険性)」、リスクは「アポストオリ(後験的)な冒危険性(後から獲得・予測される性状)」ということになりそうです。つまりハザードは演繹法(命題が先にある)のものであり、リスクは帰納法(経験から命題を導く)のものです。

 ハザードを重視する人(市民が多い)へ、リスクを重視する人(行政・学者が多い)が、非合理として批判する理由は、演繹法的な視点(無条件の信念)があるからです。逆にリスクを重視する人へ、ハザードを重視する人が、功利的として批判する理由は、帰納法的な視点(恣意的な計算)があるからです。そしてリスク重視の体系が、リスクの科学です。

 リスクの科学(リスク論・リスク評価・リスク計算)は、化学物質の法的規制の根拠として成立、共に進展してきましたが、原理的には、loss(損失)をミニマム(最小)にする化学物質の許容量を計算します。その評価は、peril(事故)とloss(損失)の確率計算を含みますが、ミニマムがどのレベルかという点に、永遠の問題を抱えます。発がん性物質は、たとえば発がん率が10^-6(1生涯100万人に1人の確率)となるポイントが選ばれ、数値としては評価できますが、他の(それほど著しくない)症状を被るハザード物質にも同様の数値10^-6を援用するのかどうかという課題があります。そうでなく相対比率をそれへ援用するなら、今度は、著しさの比較をどう定量化するのかといった課題が出てきます。そしてひとたび後者の計算をはじめると、病気に等級をつけ、人の生命を見積り、化学物質のベネフィット(便宜)を計量して、リスクの1部を相殺し、その分リスクの評価も好転させるという、功利主義的な手法を用いることになります。

 永遠の問題というのは、その手法自体でなく、その計算式の当否が、ひろく情報公開されて、市民と世界の了解がえられなければならないという、提示側の当然の責務であり、それが実現されていないという現実があるからです。リスクと比べて化学物質のベネフィットを判断するのも、市民(世界)の側であり、市民がベネフィットを了解しなければ、その物質は剥き出しのハザードをもつだけです。また化学物質の生涯影響をみるLCA(ライフサイクルアセスメント)から、ベネフィットの比較をする場合もあり、その場合は計算式に不確定要素があっても、LCA上の環境・身体に負荷すくない化学物質が優先されることになります。

 たとえば、市民(世界)の了解がえられていないケースに、「反リサイクル論」があります。反リサイクル論は、リサイクルがリサイクルしない場合に比べて、環境負荷を増大するという点から、「リサイクルはすべきではない、廃棄物はすぐにリサイクルせず、将来資源として集積しておき、より負荷少なくリサイクル可能な技術的・社会的な環境がととのうのを待つべきである」という主張です。

 端的には、指摘は正論です。そもそもどんなモノも、資源原料からつくり出して物流にのせ、使用者へ届くまでにもの自体が分散し拡散します。リサイクルは、ひとたび拡散したものをあらためて集荷するところから始めます。一定の物流にのるのでなく、雑多な方法手段で集まる間に、多量のエネルギーと、(輸送に石油系内燃機関車をつかう限り)石油資源を消費します。さらに原料を調達するよりはるかに大きなエネルギーを消費(粉砕・溶融)し、原料へと再生し、ようやくバージンと同様な製造プロセスへのせます。コストも含めて、膨大な負荷が生じています。

 けれども、ことはそれだけで終わりません。リサイクルを推進すべき理由は、それらの論拠の否定にあるのでなく、もともと次元の異なるテーゼに拠って立っている点にあります。使用済みの物質は、廃棄物として環境へ排出してはならない、できるかぎりリユース・リサイクルして循環させなかればならないという、市民が誰でも漠然と思っている、いわば根源的なテーゼに拠っています。原理的にいえば、ひとたび採取した原料物質は、都市(人間社会)に止めて、リユース(再使用)し尽くして後、(できればマテリアル)リサイクルして、永遠に都市内で循環させるべきという考え方です。

 それを物質の内部化といいます。物質を決して外部化(環境への廃棄・排出)しないというシステムが、すべてに優先する施策であり、逆にこのシステムにうまくのらない物質は、代替物質を検討していかなければなりません。物質利用のコストも、もし比較するなら、そのリユース・リサイクルをふくめた全体のシステムのコストとして計上すべきものです。それでなければ、比較する意味がなくなります。

 すなわちリサイクルは、原理と道理の問題であり、プロセス上の負荷の増大(たとえば内燃機関によるもの)は、その機関そのものを止揚(たとえば水素燃料電池機関に)するのが本筋という見方にほかなりません。したがって反リサイクル論は誤認にもとづく議論ということになります。リサイクルは行動原理の前提であり、その負荷の増大は、むしろそれを抑制するための手法と技術が開発されなければならないという、積極的なベクトルへ向かわなければなりません。

 同様なことが、リスク論にも起こります。市民(世界の)了解が要るというのもそのためですが、反リサイクルのように、当初から了解を無効とする側面もあるかもしれません。その側面はもちろん、すべての物質の内部化の要求であり、このテーゼのもとでは、大気及び水域へなんらか負荷をもたらす廃棄物質を、一切放出してはいけません。その目標に向けて(過渡的視点も含めた)適切な手法が選択されなければなりません。それはリスクとベネフィットをトレードオフする以前の問題です。つまり、「リスクをゼロに」が、現実のテーゼとして存在します。当該化学物質をなくすというアプローチであり、日本の場合は、そういう根本原理によって、水銀の工業的な使用禁止、代替技術よる物質転換が成就しています。それが水銀0の乾電池の開発へと進展した経緯は、自動車の熱機関が、石油系内燃機関から水素燃料電池へと進展している事実と軌を一にしています。最終的には、民生用乾電池の1部も、リサイクル構造をもった、コンパクトな水素燃料電池に進化していくでしょう。そのために当面投資されたもろもろのコストも、後の世代のためとすると帳尻のあうものになります。

 リスク論が、「リスクはベネフィットによって補償可能なもの」と考えること自体、すでに予断が入っています。本来的な誤りではありませんが、その手法を運用するために、「リスクをゼロに」のテーゼも捨象するとしたら、すべての向上という有為な可能性を奪うことになりかねません。現状をベネフィットでリスクを補填すると、たとえば内燃機関の環境対応のみで必要十分であり、水素燃料電池の開発などは論理上不要になってしまいます。またリスクとベネフィットを交換するためには、公平性から、その都度検討を重ねるといった了解も要りそうです。そうでないと恣意的な議論となり、ひたすら功利主義の範疇に入っていくことになります。

 功利主義を体系的に唱えた嚆矢の倫理学者は、18世紀イギリスのジェレミー・ベンサムJeremy Benthamです。人間(人類)の行動原理は、快苦(快楽と苦痛)、すなわち快をもとめて苦をさけることであり、その価値は、動機と経緯によらず、もたらされる結果でのみ評価されるとします。したがって人間(人類)の最終目的は、「最大多数の最大幸福」にほかならず、それにともない「多数者の優先と少数者の犠牲」は不可抗力であると断じています。快と苦は数学的に計算可能なものであり(快楽計算)、そのまま正義と不正の行為を意味し、客観的な倫理の科学であるとして、快楽計算の項目も、強烈性・持続性・確実性・近親性・豊潤性・純粋性・多大性をあげています。したがって快楽と苦痛、すなわち正義と不正は、その割合の按分から、快楽(正義)100%から、快楽・苦痛半々、苦痛(100%)まで、1次元の同軸上にきれいに整列することになります。

 ベンサムの功利主義倫理学が、法律と刑の近代的な成立へ大きな貢献をはたした歴史的成果は評価されるものです。功利主義のもつ文法が、本質的に法的規制のそれと近似であるという事実が、互いの共時性を維持しています。ひるがえって科学としてのリスク論は、市民がその「許容量の定量化」の複数のプロセスを、理解し、選択できるという前提があってはじめて成立します。

 化学物質のハザードは、安全な物質への代替以外にゼロにはならない、その安全な物質も絶対的に安全なのではないという感覚が、リスクに対する現在のもっとも始源の、そして普遍的といっていい市民感覚でしょう。化学物質の安全性は、本来、保証できるものでなく、せいぜいどの程度危険が少なくなるかという点を指摘できるだけです。それも急性毒性のものは濃度等、有害性の多寡を決めること(許容量の定量化)ができる場合もありますが、緩慢に発現する慢性毒性のものは、個別の体質的な依存もあり、客観的な判断基準がつくれません。さらに微量でも広範に影響をあたえるもの、数年、数10年、さらには世代を超えていく長期間のハザードは、数値を見積る手立てすら整備されていないのが実情です。またハザードで認めるべきものは、統計上の被害ばかりでなく、わずかな事例でも未来を示唆する可能性でもあります。

 そう考える前提の1つに、「誰のためのリスク」かという問題もあります。一般的に人というだけでなく、人間もその1部である環境のためであることは当然のことですが、その人と環境も、私たちの生きているこの時代に限られてはいません。「子どもたちの世代のためのリスク」を考えなければなりません。それが大人の責任にほかなりません。するとそれはすぐれて哲学の問題であり、功利で計算する以前の問題です。あらゆる善と悪を一次元の軸上に存在するものと捉えるベンサム流の価値哲学は、リスクに関するかぎり批判されます。

 仮にも1世代(あるいは2、3世代)後に、負の遺産となるかもしれない結論が、学問の名で提出されてはなりません。いま現在、ベネフィットがリスクを上回るとして採用する化学物質が、もし将来の子どもたちとその子孫に、著しい負荷をもたらすとしたら、それは人為的な不条理になります。それらの可能性を排除できないために、化学物質について人はファジーなスタンスになります。無意識にそうなります。市民が無知なためにそうなるという人がいたら、それは傲慢というべきでしょう。
 市民と世界は、現在進行形で生きている、1つの叡智の群としてモノの適正な判断をすることができると考えるべきです。ちなみにそれは排除の理論とは無縁です。肯定するためにそうするのです。そうでなければ、すべての弱者は切り捨てられてしまいます。「絶対安全」という化学物質が無慮大数、巷にあふれている現実は、したがって非科学的な現象というほかはありません。ただ化学物質の種類が必要性をはるかに超えて多すぎるという素朴な直感が、リスクの功利主義に疑問を投げかけるのです。

 ちなみにこのスタンスは、市民だけのものではありません。ISO14000sEMS(環境マネジメントシステム)のテーゼの1つに、地球環境の保全は、法的な規制では不十分であり、そのためにどのような組織でも活用できるPDCA(プラン、ドゥー、チェック、アクション)からなるグローバルスタンダード(世界標準規格)をつくったという、いわば矜持の表明があります。そのため組織は、組織固有の(事業活動を通じての)環境負荷低減をめざしながら、未来への「明晰な着地点」を特定します。その目的・着地点が、論理的に企業の考える環境の理想像になり、結果として1部の企業(まだ1部に過ぎませんが)に、徹底した環境ビジョンが描かれることが起こります。行政とも法的規制とも異なる次元で、組織(企業・企業体)の内部に、「リスクゼロ」のテーゼが実在するためです。現在、組織のいわゆる「リスクマネジメント」は、「ISO14001環境マネジメントシステム」及びひろく「CSR(企業の社会的責任)マネジメントのベースとして稼動し、あるべき理想の代替へと激しく動いています。企業も市民であるという意味をこめて、企業市民という言葉もつかわれています。

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