石けん学のすすめ Anri krand くらんど
「わたしたちは、心を、静かな水面のようにすることができる。そこでその心に映るビジョンをみようと、いきもの(妖精)たちがわたしたちの周りに集まってくるのかもしれない。そしてその心の静寂さのために、わたしたちは一時、より透明な、おそらくより激しい人生を生きることができるのである。賢者ポーフィリーもこう言ったであろう『水からすべての魂は生まれ、心のなかに生まれるビジョンは、水から発している』と。(略)古代から神話の時代まで、わたしたちの生はつづいており、いたるところに神(妖精)をみていた」。注)イェイツ「ケルトの黎明」
アイルランドやスコットランドの人たちは、ケルト語でシー(Sidhe、Shee)という妖精と話をすることができました。イーハトーヴォの人たち(宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」)も、猫とカッコウと子狸と母ねずみ・子ねずみと話をすることができました。おそらくイーハトーヴォの国は、ケルトの国とそう遠くは離れてはいなかったのです。水と森とは、悠久の古代から人の心をまっすぐ育んできました。圧倒的な神秘と恩沢の存在でありつづけました。
その日本の河川は、近世の黎明の時代に、訪れた外国人から「まるで滝」と吃驚された急流の川です。日本列島を縦横に走り、狭い国土と急峻な山岳から、落差をもって流れ落ちてくる河川です。これは世界に普遍的なものではありません。世界の多くの河川は、ほとんど高低差なくゆっくりと流れています。この清烈な日本の川が、日本人の生活にいくつものアプリオリ(先験的な)性質を与えました。カルシウム・マグネシウムの少ない軟らかな水であり、その他のミネラルは適度に保持するという、世界でもまれな麗水であったために、(油の要なく)水から煮炊きする料理法が生まれ、(紅茶でなく)不発酵茶である緑茶を愛好し、綺麗好きの性質と、(かっての)清潔な精神といったものが培われてきたのです。
清流の水は、そのまま距離をひいて高品質の上水になります。日本最古の水道は、天正18年(1590)、神田川から江戸城下までひいた「小石川水道」といわますが、江戸時代に入って神田上水と玉川上水が建設され、17世紀中葉には、延長150kmという地下式上水道が完成していました。同時期のヨーロッパでは、ロンドンに唯一地上式の上水道が建設されていますが、やっと延長30kmのものでしたから、この時期日本の水道は世界最大の水道でした。「水と安全はタダと思っている」といわれた日本ですが、その成立した条件は、妖精の棲む「水と森の国」であったからにほかなりません。膨大な歴史をへて、なぜかそのどれもが失われつつあります。
石けんは、油脂・脂肪酸と、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)からつくられます。水酸化カリウム(苛性カリ)からもつくられ、ソーダ(ナトリウム)石けん・カリ(カリウム)石けんといわれます。石けんを語るときは、便宜上ソーダ石けんについてが多くなります。そのままカリ石けんにも適用されることばかりですから、とくに断らない場合はカリ石けんでも同等と思ってかまいません。脂肪酸の場合は、炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)からでもよく、過去には、コスト面で有利なため炭酸ナトリウムが多用されましたが、現在はどちらも水酸化ナトリウムがつかわれます。また、脂肪酸にはふつう10%未満の油脂がふくまれ、そのけん化のために、水酸化ナトリウムが必要になりますから、炭酸ナトリウムによる中和法でも、水酸化ナトリウムとの併用は必要になります。
油脂からのものはけん化法、脂肪酸からのものは中和法といわれますが、厳密にはそうばかりではありません。脂肪酸からつくるもののも、本来、脂肪酸けん化法と脂肪酸中和法があり、前者は、脂肪酸から焚いて塩析までするものです。油脂の精製度が低い時代に、精良な石けんをつくる場合に試みられたものです。現在は行われていません。後者は、窯焚きのみで塩析は行わないため、脂肪酸中和法といいますが、一般に中和法というのはこちらです。
油脂からつくるものの方が、かたく仕上り品質もよいといい、油脂けん化・塩析法と脂肪酸けん化・塩析法の比較では、かたさの差はあっても、品質にかわりはないといいます。油脂けん化・塩析法と脂肪酸中和法の比較では、かたさおよび品質に差がみられます。純石けんから峻別される、大手メーカーのポピュラーな化粧石けんは、これら製造法とは大きな相違があります。大量生産を目的に、すべての工程が「急速化」されています。「急速けん化法・急速中和法」というべき製造法で、伝統の窯焚法に比べ、プラントも工程もちがい、ニートソープ(生地石けん)は、いくばくか未けん化物・不純物・夾雑物を含んでいます。
さて、石けんの原料の一つである水酸化ナトリウムは、現在、工業塩(食塩)の電解によってつくられます。電解法といいます(2NaCl+2H2O=2NaOH+H2+Cl2)。水酸化ナトリウムの生成時に、塩素と水素が副生します。うち塩素は、消毒用途のほか、塩化ビニルなどダイオキシン前駆物質の原料となります。近年は、塩素がメインでつくられ、水酸化ナトリウムが副生品の方です。水酸化ナトリウムは、かって、炭酸ナトリウムと水酸化カルシウム(消石灰)の反応からつくられました。石灰法といい、こちらが古法です(Ca(OH)2+Na2CO3=2NaOH+CaCO3)。
アルカリ材料の面からみて、石けんの歴史には4つのエポック(画期)がありました。1は、甘生(陸上)植物灰(炭酸カリウム)と獣脂からつくった、「始源の石けん」、2は、バリラといわれる塩生植物灰(炭酸ナトリウム)と植物油からつくった、「中世地中海の石けん」、3は、工業ソーダ(ルブラン・ソーダおよびソルベー・ソーダ)の石灰苛性化法による水酸化ナトリウムと、複数の油脂から製造した「近代の石けん」です。4は、電解法によって、塩化ナトリウムから直接生成する水酸化ナトリウムをつかう「現在の石けん」です。3が、蒸気窯の導入による近代化とともに、「古法」の石けん製法です。「窯焚けん化・塩析法」という伝統的・正統的な石けん製造法であり、その成立は19世紀中葉でした。
また、油脂は収量を多くするために、抽出法(溶剤抽出)が行われます。圧搾法が本来である果実からの搾油でも、圧搾のあと抽出がかけられます。そのため圧抽法ともいわれます。抽出につかわれる溶剤は主としてヘキサンで、そのつど回収されますが、わずかに残留することがあります。したがって石けん廃液にはかなりの環境負荷があります。廃液の成分は、塩化ナトリウム・グリセリン・水酸化ナトリウム・炭酸ナトリウムですが、古法では、塩化ナトリウムは回収し精製して、再び塩析につかいます。グリセリンも回収し精製して、市場に供します。水酸化ナトリウムと炭酸ナトリウムは、回収できず、酸による中和後極少に希釈して排出されます。
石けん製造の理論と根拠をあらわした、最初の理論書は、シェブルール( CHEVREUIL)の「脂肪酸アルカリ塩」で、1823年に刊行されています。同時期に獣脂とオリーブオイルだった原料油脂の種類も拡大し、パームオイル・ココナッツオイルと、各種のシード(種)オイルが登場しています。同年の1823年、イギリスの織物会社が、初のルブランソーダのプラント工場を動かし、翌1824年には、リバプールに本格的なルブランソーダ工場が設立・稼動しています。マルセーユの記録では、それに先立つ15年前の1808年、市中にすでにルブランソーダ工場があったといい、同時に石けん工場は、一斉にベジタブルソーダ(バリラ)を禁じ、オリーブオイルにくわえ、シードオイル(ナッツ・ケシ・アマニ・ナタネ)を導入したと伝えられます。その後、1842年にスチームヒーティングが導入され、1844年にワイセンフェルトが石灰法による固形の水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)を発表しています。今日の石けん製造の基本型が、完成したことになります。古法の誕生です。
古法が、すべて環境負荷のすくない手法であるのではありません。完成されたノウハウに裏づけれられた、比較的負荷のすくない手法であることは間違いありません。したがって、どこかで回帰する必要に迫られたときは、まず、古法を参照することから、システム全体の再構築を検討すべきでしょう。負荷を極少にする手法です。
石けんの歴史、その起源は、すくなくとも紀元前2500年頃までさかのぼります。メソポタミアに出土する粘土版に次のように刻まれているのが、石けんの最古の記録です。
「石けん(とみられるもの)は、油脂1部とポタシュ(木灰とみられるもの)5.5部でつくる。ポタシュはまた、穀物の肥料と人の清潔をもたらす自然の恵みである」注) 「石鹸製造化学(中江大部)/東京内田鶴圃刊」
陸上植物の灰には、炭酸カリウムが10%〜30%くらい含まれています。現在にも通ずる、ポタシュ(カリウム)の2つの用途、カリ肥料と石けん原料アルカリについて、正確に記録していることになります。カリ石けん(軟石けん)の原始的な姿かたちです。
日本語の石けん(石鹸)は、1607年(慶長12年)本草綱目に、明(中国)から渡来とあるのが初出です。内容は洗浄用品ですが、石けんとは異なるものであったようです。ただそれ以前に「シャボン」の語がすでによく知られていて、以降シャボンと石鹸は同一のものを指すことになります。その日本語シャボン Shabon の由来は、ラテン語 Sapo、フランス語 Savon、スペイン語 Xabon、ポルトガル語 Sabao、オランダ語 Zeepのいずれかです。うちポルトガル語の Sabao は、スペインから入ったもので、当初は Xabon または Jabonn であったようですから、ポルトガル語のオリジナルはスペイン語です。
1549年のザヴィエルの渡来以来、ヨーロッパからの渡来は、ポルトガルがスペインより先行していましたから、シャボンとシャボン Shabon の語も、まず、ポルトガル人が日本に持ちこんだものでしょう。ラテン語で石けんをサポー Sapo というのは、紀元前1000年頃、ローマにサポー Sapo の丘があったという伝説によります。神に羊を捧げるという習俗があり、その焼いた脂と灰が混じった土塊が、汚れを落す力があったからです。このサポーが、サボン(石けん)等の語源といわれますが、サポーの丘の伝説は定かなものではありません。石けんを意味する Sapo の語が、ラテン語のオリジナルのもので、ヨーロッパで最も古い語という事実だけがあります。
ヨーロッパの石けんの最古の記録は、プリニー Pliny(紀元23-79)のもので、「石けん Sapo は油脂肪、木灰および石灰にてつくられ、就中、山羊の脂肪および山毛欅の灰にてつくるものを最上とする。また食塩の添加によって、やや硬き石けんがえられ、ガリヤ人およびゲルマン人は、これを頭髪油として用いた」と書かれています。頭髪油というのは不審ですが、起元2世紀のガレヌス Galenus は、「洗浄に用いられる石けんには、ゲルマンの石けんが最上、ガリヤはこれに次ぐ」と明確に書いていますから、一世紀(またはそれ以前)から、ガリヤ人はともかく、ローマ人はこのレシピのものを石けんとしてつかっていたのです。ちなみにこの石けんのレシピですが、アルカリをつくるのに木灰と石灰を、硬くするのに食塩をつかったと書かれているのは、意味深長です。今日の石けん製造の原型というべきものが、垣間みられるからです。
その後4世紀末、ローマ帝国が東西に分裂すると、石けんはいったん衰退しているようです。ゲルマンとガリアの地は、フランク(フランス・ドイツ)と西ゴート(スペイン)の地になっていますが、石けんを伝承したのは、それらヨーロッパ人ではなく、オリエントから膨張しつつあったアラビア人でした。7世紀には、アラビア人が、煮沸灰汁を生石灰でアルカリ化して、固形の獣脂石けんをつくったという記録がみられます。生石灰は、自然に産する石灰石を熱分解することでつくられますが、錬金術の1つでもあったようです。
8世紀にはアラビアからスペインに伝わり、スペインとイタリアで石けん業が発生、ギルドが成立しています。西ヨーロッパの石けんの発祥です。ただ、この伝播は、イベリア半島が、アラブ帝国ウマイア朝(711〜1031年)に征服された結果とみられますから、石けんは、アラブ文化の一として、西ヨーロッパに再導入されたことになります。この時期の石けんは、依然として、伝来の「動物脂を原料とするポタシュの軟石けんでした。現在のカリ石けん(軟石けん)の祖系になります。
9世紀には、フランス・マルセーユ港が石けんの一大集散地となり、次いで一大製造地となりますが、12〜13世紀になると、地中海の特産であるオリーブ油と、おなじく地中海特産であるバリラ(植物ソーダ)から、固形の硬石けんがつくられました。地中海の港湾都市がその主人公でしたが、中心的な役割を担ったのは、マルセーユにほかなりません。サボン・ド・マルセーユ、ヨーロッパのオリジナル石けんの発祥です。現在のソーダ石けん(硬石けん)の直接の祖とはいえませんが、カリ石けん(軟石けん)から、ソーダ石けん(硬石けん)へと、劇的に移行した画期ではあります。
炭酸ナトリウム(ソーダ灰)を生みだしたバリラは「海草灰」と訳されることがありますが誤りです。海草を焼いてとったアルカリを利用してきたなごりに過ぎません。陸上植物は一般にカリウム含有量が多く、ナトリウムはその10分の1にすぎませんが、海草は3分の1くらいのナトリウムを含有します。木灰よりはましですが、主体がポタシュ(カリウム)であることに変りありません。
その後、バリラ barrilla としてヨーロッパ世界に知悉されたものは、実は海草灰ではありません。現在のスペイン語でも「バリラ」は「オカヒジキ」のことです。オカヒジキはアカザ科の陸上植物で、海草ではなく、海岸の塩田跡地などに群生する、塩害(ナトリウム)に耐性のある植物です。これを塩生植物といい、ナトリウムを多量含有しています。カリウムの多い植物は、塩生に対して甘生といいます。陸上植物はもとより、海草など海中植物もふくめ、普通の植物のほとんどは、甘生植物です。
植物のカリウム・ナトリウム含有量(%)
----------------------------------------------------------------------- カリウムK ナトリウムNa K/Na比 ----------------------------------------------------------------------- 褐藻(海草) 5.2 3.3 1.58 蘚苔植物 2.4 1.1 2.18 羊歯植物 1.8 1.4 12.9 裸子植物 6.3 0.34 18.6 被子植物 *14.0 1.20 11.7 ----------------------------------------------------------------------- 塩生植物のカリウム・ナトリウム含有量(%) ----------------------------------------------------------------------- カリウムK ナトリウムNa K/Na比 ----------------------------------------------------------------------- アッケシソウ(アカザ科) 0.80 *10.65 0.08 シオツメグサ(ナデシコ科)5.65 1.47 0.26 ハママツナ(アカザ科) 3.52 1.51 0.43 ウラギク(キク科) 2.77 2.05 0.74 ハマアカザ(アカザ科) 2.75 1.74 0.63 ----------------------------------------------------------------------- 注)「自然の中の植物たち」高橋栄一(1986 研成社)
オカヒジキのような塩生植物の焼灰を煮詰めると、収量の格段に多い炭酸ナトリウムが取得でき、はじめて大規模生産と安定供給が可能になりました。ソーダ工業が成立した嚆矢ですが、地中海沿岸といっても、特産地はスペイン領内でした。
13世紀にはそのスペインに、クイーン・オブ・ソープといわれた、カスティール Castile 石けんが登場(カスティリヤの成立、紀元930〜1479)し、14世紀には、スペインのアリカンテ Alicante・カルタゴノバ Cartagena・マラガ Malagaが、石けんの生産・消費地として栄えました。15世紀にはイタリアのベニス Venezia・サポナ Savonaが興隆します。そして17世紀に入ると、拡張の一途をたどるフランスのマルセーユと、イタリアのサポナ Savona・ジェノア Genoaが、一大石けん製造地となり、ヨーロッパにおける石けんの基地たる地位を確立します。
サボナ・ジェノアはイタリア半島のリグリア海沿岸にあり、リヨン湾のマルセーユと、海岸つたいで連絡しています。サボン savon の語源も「サボナ Savona の石けん」に由来するという説もあります。港湾都市マルセーユは、17世紀後葉、リネン工業の発展による繊維用マルセーユ石けんが、爆発的な興隆をみて、ルイ14世下のフランス重商主義のなか、フランス本国とフランス東インド会社をつなぐ、東方貿易の一大拠点となっていきます。
「オリーブなどベジタブルベースのオイル72%をギャランティ(保証)する刻印」をもって、それのみを「サボン・ド・マルセーユ」と呼称する旨を公布したのは、重商主義者である時の宰相コルベールです。1668年のことでした。
1668 colbert French Law 72% pure olive/palm oil & no animal or chemical additives
とはいえ、水酸化ナトリウムでなく純粋な炭酸ナトリウムでもない、バリラ(植物ソーダ)からつくっているこの時代のサボン・ド・マルセーユは、現在の眼からすれば、まだ不純物・夾雑物のかたまりです。オイル72%の刻印のある石けんも、いわば石けん前史の石けんです。今日の石けんの直接の祖であり、その完成度のために、古法といっていい古典的石けんは、とりあえず精製度のたかい苛性アルカリと油脂から、窯焚きけん化・塩析法でつくるものです。
いくつかの画期がありますが、フランスのルブランの創始になるルブランソーダの工業化、その石灰法による苛性化、石けん製造理論と油脂種類の拡大化、けん化窯のスチームヒーティング化などが、現在の石けんの直接のルーツとなります。それはおしなべて19世紀中葉の出来事でした。環境とのかかわりで、古法の意義を理解しておく必要はありますが、復元する必要性はありません。ただ、それぞれの時代のそれぞれのドラマが垣間見えます。
ルブランソーダ法の成立は、18世紀末です。先立つ18世紀後葉、スペイン王位継承戦争のあおりをうけ、地中海のバリラ(植物ソーダ)が、一斉にとだえた事件があり、フランスアカデミー(学士院)が「塩化ナトリウムから炭酸ソーダを合成する方法」を、懸賞募集したのがきっかけでした。背景には、アルカリを必要とした紡績業・繊維工業の発達、ガラス製造・石けん製造の勃興がありました。
うち、繊維工業は、繊維の精製用のアルカリばかりでなく、「精練」用の石けんを必要としていました。19世紀、石けんの急速な産業化を担ったエネルギーが、生活の場の清浄剤である前に、繊維工業用途の洗浄剤であったことは、留意しておくべきことです。マルセーユ石けんの興隆もまた、リネン繊維工業などの繊維精練のためでした。そのために「遊離アルカリが痕跡」という「石けんの理想」も追求されていったのです。
フランス人のニコラス・ルブランが、合成ソーダ法を発表したのは1790年、翌1791年には、サン・ドニに自らソーダ工場を建設しましたが、フランス革命の勃発により、工業として稼動することはありませんでした。産業革命の目玉の1つでもあった、ルブラン法の工業化については諸説があります。10数年後の1814年にイギリスに伝来し、1823年イギリスの石けん業者が、ルブランソーダを製造・使用したという記録が、事実上の工業化の嚆矢です。翌1824年にはリバプールにルブランソーダ工場が設立されています。
フランスのマルセーユでは、すでに1808年にルブランソーダ工場が立ち、一斉にベジタブルソーダ(バリラ barilla)を禁止したと伝えています。同時にシードオイル(アマニ油・ナタネ油などの種子オイル)を導入したとあります。産業革命の主役がイギリスであったために、1823年と1924年のルブランソーダ工場がクローズアップされたのでしょう。1808年のマルセーユにおける石けん工場がルブランソーダへ転換したというの本当なら、そちらが真の工業化の嚆矢であったと思います。
ちなみに、ルブランソーダ法は、塩化ナトリウムに硫酸を作用させて、硫酸ナトリウムと塩酸をつくり、塩酸を回収(2NaCl+H2SO4=Na2SO4+2HCl)、つづいて、硫酸ナトリウムに石灰石と石炭を混合、炉中で強熱・還元し、硫化ナトリウムをつくり、硫化ナトリウムを石灰石と交換分解し、炭酸ナトリウムと硫化カルシウムをつくります(NaSO4+2C=Na2S+2CO2 Na2S+CaCO3=Na2CO3+CaS)。産業革命と軌を一とするルブランンソーダは、100年つづきますが、18世紀後葉1865にはソルベーソーダ(アンモニアソーダ法)が発明され、さらに19世紀初頭、電解法が成立して現在に至っています。
ルブランソーダからソルベーソーダへの移行は、19世紀末1890年ころから、ソルベーソーダから電解ソーダへの移行は、20世紀中葉1960年ころからです。すでに古法である石灰法は「ソーダ灰苛性化法」ともいい、つぎのようなプロセスです。
石灰石から生石灰(熱分解)を、生石灰と水の反応(消化・発熱)から消石灰を、消石灰を水に溶かし(石灰水)または微粒子として溶解(石灰乳)する。
CaCO3=CaO+CO2
CaO+H2O=Ca(OH)2
石灰水・石灰乳に炭酸ナトリウム(希薄水溶液)をくわえ、攪袢応し、、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)と炭酸カルシウムを得る。反応終了後、濃縮する。
Ca(OH)2+Na2CO3=2NaOH+CaCO3
環境のための古法というとき、電解法による塩素をパスするだけなら、一部現役のソルベーソーダが選択肢のひとつですが、20世紀末に登場している、アメリカ・ワイオミング州グリーンリバーの天然炭酸ナトリウムが、すでに多量に市場に出まわっています。埋蔵量無尽蔵というこの炭酸ナトリウムと、天然石灰(炭酸カルシウム)から、石灰法でつくる水酸化ナトリウムが、とりあえず相応な環境対応の石けん用アルカリ原料になります。
軟石けん(カリ石けん)の原料となる水酸化カリウムや炭酸カリウムは、ソーダ工業とは別の道を歩いていました。カリウムが、ナトリウムと明確に峻別されたのは、1807年(イギリス、デーヴィ)のことですから、歴史の登場するのも遅かったのです。乾燥炭酸ナトリウム(ソーダ灰)が海草やバリラ(塩生植物)から、また天然ソーダ湖などから採っていたのに対し、炭酸カリは陸上の甘生植物の木灰からとっていました。木灰から約10%の炭酸カリがとれ、古くから水で浸出したものを灰汁(あく)といって、そのまま洗浄につかわれ、またカリ肥料としてもつかわれていました。
カリ工業がソーダ工業と比較される時、大きな差異は、カリ化合物の肥料としての有用性です。3大肥料の一角を占め、塩化カリ・硫酸カリ・炭酸カリ、またその複合化合物として用いられます。塩化カリの採取・製造は多岐にわたり、カリ岩塩鉱床(ドイツ・シュタッスフルト)・ろ湖(デッドシー)・その他のカリ鉱石(ミョウバン石・カリ長石)・海藻・樹木・海水苦汁などがあります。
古くはナトリウムもカリウムも、アルカリとしてそう区別あるものでなく、ルブラン法が成立した後は、塩化カリからルブラン法で炭酸カリもつくられるようになりました。水酸化カリウム(苛性カリ)も水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)と同様、炭酸カリウムから石灰法でつくられました。だだカリ工業にソルベー法は適用できません。ソルベー法は、炭酸水素ナトリウム NaHCO3 の溶解度が小さいことに基づいて運用されますが、炭酸水素カリウムKHCO3の溶解度は大きく、同様の運用ではカリウム利用率が低くなってしまうからです。石灰法はもちろん健在でしたから、水酸化カリウムは、電解法に移行するまで、永くルブランカリウムから石灰法でつくられてきました。電解法が主力の今日では、水酸化カリウムは、水酸化ナトリウムと同様、塩化物の電解からつくられます。
石けんは環境負荷の少ないものですが、それだからこそ、石けん周辺の環境負荷の低減も、つねから気にしなければなりません。石けんの使用量など、根本的な課題も抱えますが、製造過程と、それをさかのぼる油脂・苛性アルカリの製造過程に、それぞれかかっている環境負荷も、低減の対象になります。塩析をする純良なソーダ石けんの場合、廃液(ニグル)がでますが、その組成は、グリセリン5%、塩化ナトリウム10%、水酸化ナトリウム0.1%、炭酸ナトリウム1.0%くらいです。以外に微量の有機物(石けん・タンパク質・粘質物・色素)が含まれます。負荷なく排出するために、中和・希釈・沈殿などいくつかの化学処理が施されます。うち、先のように、グリセリン・食塩の回収ならびに市場化・再利用は、かって行われていたことですが、いまは将来への課題です。
市場のグリセリンは、現在、主に高圧・酵素など油脂分解法で、脂肪酸とともに製造されています。合成グリセリンもありますが、油脂グリセリンに比べてとくに有利なものではありません。回収グリセリンも、かっては採算性のあったものですが、いまはそうでなく、資源の有効利用のためにコスト増にかかわらず必要な工程です。原料の製造工程における負荷として、油脂が多くヘキサンによる溶剤抽出や、水酸化ナトリウムによる精製などが行われている現状があります。
ヘキサンは石油から抽出(化学合成でなく)される物質で、「天然食品添加物・製造溶剤」です。製造溶剤は基本的に製造・加工の過程でつかわれ、最終食品に残留しないとされていますが、痕跡が残ることがあります。油脂の場合もヘキサンは回収されますが、やはり微量な残留がみられます。また精製による若干の廃液もでます。ヘキサンをつかわないヤシ油・パーム油・オリーブ油など、圧搾法のみによるものを選択するのも1案です。圧搾法は典型的な古法です。圧搾の後、さらに溶剤抽出をする圧抽法という合併法もあり、現在ではそちらが一般的です。
動物脂は熱をくわえて抽出する「融出法」のみで、純良な脂がとれます。油脂以外の物質が組成的に少ないため、精製も容易です。北ヨーロッパやアメリカ新大陸では、動物脂と木灰(炭酸カリ主体)からつくる軟石けん製法が、ながく栄えました。
ただ、樹木などの果実から搾油するシステムは、あまり将来性のあるものではありません。一年生草など、1年で栽培・収穫する植物のシードオイル(種子油)からとる油脂なら、土地以外の栽培にともなう環境負荷は極小になります。純良な油脂と純粋な水酸化ナトリウムの組合せがあって、現在に通ずる純石けんの製造法が確立されました。それが石けんの古法であり、環境のために基本的な条件は、すべて考慮されていなければなりません。
品質に格差なく環境への負荷が低減されること、LCA(製品ライフサイクルアセスメント)など、原料・エネルギー消費量(インプット)から、水域・大気・固形廃棄物量(アウトプット)までの製品の生涯の負荷低減がはかられること、本体の純粋性および不純物・夾雑物の混入のないプロセスを維持・管理し、常時、ハザード(被危険性)からの距離を保つことなどです。
復興が可能な、それによってアドバンテージが高まる古法の仕様は、たとえば、天然の炭酸ナトリウムと石灰による「ソーダ灰苛性化法」でできるものと、たとえば1年生草などのシードオイルから圧搾法で搾油するものとを、窯焚けん化・塩析法でつくる石けんです。理想という図柄の、ほのかなイメージが湧いてきます。技術もルネッサンスする時代です。